Code for History

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論点はIOCに違約金を払うなではなく、IOCに払ってもいいから俺たちにも休業補償金を払え、ではないか

今日の新聞記事に、オリンピックの規模を小さくしようとしたらIOCから違約金を要求されたというものがありました。

www.asahi.com

これ、別にIOCの肩を持つわけではなく、私もIOCに反感しかないですしさっさと五輪は止めて欲しいですし、IOCの要求自体は規模がぼったくりだと思いますが、ただその辺を一旦置いた上での一般論では、IOCも一応経済主体であってオリンピック開催のために投資をしてきたわけですから、ましてや自由経済圏であるならば私的経済活動を妨げられるいわれはないでしょうし、その私権を制限するならば適切な対価を払うことで権利を行使させないのが道理です(罰則などではなく!)。
これがまだ去年の中止だったならば、日本政府の責任もないでしょうから、不可抗力として違約金など払えないと強弁することもできたでしょうが、昨年感染が広がって1年延期したのですから、当然その1年で感染が広がらない対策がなされることをIOCが期待するのは当たり前ですし、そしてその責任が日本政府にはありました。
その責任を日本政府が全うせず、検査隔離体制の徹底など諸外国で効果が出た施策も採用せず、covid対策初手の失態を隠蔽するためか初手の対策を堅持、その結果感染がいまだに収まらないどころか去年よりひどくさらに広がる一方、ワクチン接種も進まず、それが原因で「オリンピック止めろ!」という声が強くなっているわけですから、IOCから見れば明らかに日本政府の失態ですし、それで止めろ、規模を変えろと言われたら代償払えよ、違約金払えよというのも一般論では全然おかしな話ではありません*1*2

でも日本では、IOCが違約金を要求するのは問題外、ふざけるな、という空気が強いです。
これはなぜでしょう?
分かると思いますが、日本では、(飽くまで自粛という体をとって政府が強制してない体を装いつつも)そういった私権を制限されて何度も緊急事態制限、蔓延防止措置で経済活動に制限を受けてきたにもかかわらず、政府はまともに保証せず、それどころか従わなければ罰則という方向性で私権制限に従わせようとしたからです。
これを不可避の前提として受け入れるならば、国民には経済活動制限を強制してほとんど保証していないにもかかわらず、IOCには中止するなら違約金とは何事か、という怒りが出てくるのは当然と思います。
しかし、権力の元で最終的には唯々諾々と強制を受け入れさせることのできる国民と違い、IOCにつべこべ言わず無償で中止を受け入れろ、と強制する力は日本政府にはないし、IOCにそれを受け入れる義理はありません。
政府は自身支持率を挙げるためにオリンピックを敢行したいことはさておき、仮に止めるにしても、IOCへの違約金の支払いは免れないことはわかってるし、しかし違約金を払えば国民の怒りが爆発することもわかってるので、オリンピック中止など言い出すこともできません。
完全に二律背反状態です。
なので、逆にIOCを悪者にして、IOCががめつくて違約金を取り下げないのでオリンピックは中止にできません、日本政府が悪いんじゃありません、というストーリーの中に押し込めようとしているのが今の政府の目論見なんじゃないかと思います。
IOCは開催さえできて投資を回収できれば、日本国民から恨みの対象にされようと別に日本の政体じゃないのだから知ったこっちゃないし、日本政府にとっては守銭奴IOCというイメージをなすりつけて政府への批判をいくらかでも削ぐことができれば、Win-Winの関係ですね、政府とIOCの間では。
愚弄されるのは日本国民ばかりなり、という状況です。

でも、ここでよく考えてみてください。
結局、ここで一番悪いのって、何をどうひっくり返しても日本政府が元凶ですよね?
繰り返すようにぼったくり体質を一旦横に置けば、1年間の延期で猶予を与えて日本政府にcovid対策の徹底、沈静化を期待したにもかかわらず、ほぼ無策に近い状態で沈静化するどころか去年よりひどい状況にされた結果、オリンピック止めろの大合唱な事態、それだけとればIOCも日本政府の被害者です。
それならば違約金払ってでもオリンピック止めようかと思っても、違約金払うなんてことになれば国民の不満が爆発しかねない状況にしたのも、日本政府が国民の私権制限についてはまともに保証してこなかったのが大きな原因。
そう考えると、これをちゃんと二律背反しない正道に戻そうとするには、「日本国民は保証もされなかったんだから、IOCは違約金をとるな!でもオリンピックはやめろ!」と主張するのではなく、「違約金を払ってもいいから、オリンピックはやめろ!でも当然、IOCと同様に日本国民に対しても営業制限の補償金を払え!これまでの分も含め熨斗つけて!」と主張するべきではないのだろうか、というのが最近の私の感覚です。

そして、次の選挙ではちゃんと投票行動を行う...までがオリンピックだからね!みんな最後まで気を抜かないで。

*1:繰り返しますが、一般論として代償を要求するのはおかしな話ではないというだけで、その額や対象が妥当だとかいうつもりはありません。私もIOC嫌いですし

*2:covid-19の感染拡大の制御などできないのだから、日本政府の責任など問えないという人もいるかと思いますが、日本と同様アジア大洋州のファクターXに守られた国の中でも、豪新台韓越中など、日本よりはるかにうまくcovid-19をハンドリングしている国はいくらでもあります。そういうまともなcovid対策のとれる国で、たとえ感染状況がマシでも世界がこの状況でオリンピックをやろうというような愚かな判断がされるかどうかはわかりませんが、もしする判断になったとしても、そういった国の感染状況であればまだ批判も少なかっただろうし、またしない判断をする場合でも、これからこの記事で述べる二律背反には陥らなかったのではないでしょうか

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