Code for History

"Code for History"はIT技術を歴史学上の問題の解決に使うコミュニティです。強調したいのは、我々にとってIT技術は「手段」であって「目的」ではありません。「目的」は歴史学上の問題を解決する事であって、必要であればITでない手段も活用します。常に最優先なのは、問題を解決することです。

論点はIOCに違約金を払うなではなく、IOCに払ってもいいから俺たちにも休業補償金を払え、ではないか

今日の新聞記事に、オリンピックの規模を小さくしようとしたらIOCから違約金を要求されたというものがありました。

www.asahi.com

これ、別にIOCの肩を持つわけではなく、私もIOCに反感しかないですしさっさと五輪は止めて欲しいですし、IOCの要求自体は規模がぼったくりだと思いますが、ただその辺を一旦置いた上での一般論では、IOCも一応経済主体であってオリンピック開催のために投資をしてきたわけですから、ましてや自由経済圏であるならば私的経済活動を妨げられるいわれはないでしょうし、その私権を制限するならば適切な対価を払うことで権利を行使させないのが道理です(罰則などではなく!)。
これがまだ去年の中止だったならば、日本政府の責任もないでしょうから、不可抗力として違約金など払えないと強弁することもできたでしょうが、昨年感染が広がって1年延期したのですから、当然その1年で感染が広がらない対策がなされることをIOCが期待するのは当たり前ですし、そしてその責任が日本政府にはありました。
その責任を日本政府が全うせず、検査隔離体制の徹底など諸外国で効果が出た施策も採用せず、covid対策初手の失態を隠蔽するためか初手の対策を堅持、その結果感染がいまだに収まらないどころか去年よりひどくさらに広がる一方、ワクチン接種も進まず、それが原因で「オリンピック止めろ!」という声が強くなっているわけですから、IOCから見れば明らかに日本政府の失態ですし、それで止めろ、規模を変えろと言われたら代償払えよ、違約金払えよというのも一般論では全然おかしな話ではありません*1*2

でも日本では、IOCが違約金を要求するのは問題外、ふざけるな、という空気が強いです。
これはなぜでしょう?
分かると思いますが、日本では、(飽くまで自粛という体をとって政府が強制してない体を装いつつも)そういった私権を制限されて何度も緊急事態制限、蔓延防止措置で経済活動に制限を受けてきたにもかかわらず、政府はまともに保証せず、それどころか従わなければ罰則という方向性で私権制限に従わせようとしたからです。
これを不可避の前提として受け入れるならば、国民には経済活動制限を強制してほとんど保証していないにもかかわらず、IOCには中止するなら違約金とは何事か、という怒りが出てくるのは当然と思います。
しかし、権力の元で最終的には唯々諾々と強制を受け入れさせることのできる国民と違い、IOCにつべこべ言わず無償で中止を受け入れろ、と強制する力は日本政府にはないし、IOCにそれを受け入れる義理はありません。
政府は自身支持率を挙げるためにオリンピックを敢行したいことはさておき、仮に止めるにしても、IOCへの違約金の支払いは免れないことはわかってるし、しかし違約金を払えば国民の怒りが爆発することもわかってるので、オリンピック中止など言い出すこともできません。
完全に二律背反状態です。
なので、逆にIOCを悪者にして、IOCががめつくて違約金を取り下げないのでオリンピックは中止にできません、日本政府が悪いんじゃありません、というストーリーの中に押し込めようとしているのが今の政府の目論見なんじゃないかと思います。
IOCは開催さえできて投資を回収できれば、日本国民から恨みの対象にされようと別に日本の政体じゃないのだから知ったこっちゃないし、日本政府にとっては守銭奴IOCというイメージをなすりつけて政府への批判をいくらかでも削ぐことができれば、Win-Winの関係ですね、政府とIOCの間では。
愚弄されるのは日本国民ばかりなり、という状況です。

でも、ここでよく考えてみてください。
結局、ここで一番悪いのって、何をどうひっくり返しても日本政府が元凶ですよね?
繰り返すようにぼったくり体質を一旦横に置けば、1年間の延期で猶予を与えて日本政府にcovid対策の徹底、沈静化を期待したにもかかわらず、ほぼ無策に近い状態で沈静化するどころか去年よりひどい状況にされた結果、オリンピック止めろの大合唱な事態、それだけとればIOCも日本政府の被害者です。
それならば違約金払ってでもオリンピック止めようかと思っても、違約金払うなんてことになれば国民の不満が爆発しかねない状況にしたのも、日本政府が国民の私権制限についてはまともに保証してこなかったのが大きな原因。
そう考えると、これをちゃんと二律背反しない正道に戻そうとするには、「日本国民は保証もされなかったんだから、IOCは違約金をとるな!でもオリンピックはやめろ!」と主張するのではなく、「違約金を払ってもいいから、オリンピックはやめろ!でも当然、IOCと同様に日本国民に対しても営業制限の補償金を払え!これまでの分も含め熨斗つけて!」と主張するべきではないのだろうか、というのが最近の私の感覚です。

そして、次の選挙ではちゃんと投票行動を行う...までがオリンピックだからね!みんな最後まで気を抜かないで。

*1:繰り返しますが、一般論として代償を要求するのはおかしな話ではないというだけで、その額や対象が妥当だとかいうつもりはありません。私もIOC嫌いですし

*2:covid-19の感染拡大の制御などできないのだから、日本政府の責任など問えないという人もいるかと思いますが、日本と同様アジア大洋州のファクターXに守られた国の中でも、豪新台韓越中など、日本よりはるかにうまくcovid-19をハンドリングしている国はいくらでもあります。そういうまともなcovid対策のとれる国で、たとえ感染状況がマシでも世界がこの状況でオリンピックをやろうというような愚かな判断がされるかどうかはわかりませんが、もしする判断になったとしても、そういった国の感染状況であればまだ批判も少なかっただろうし、またしない判断をする場合でも、これからこの記事で述べる二律背反には陥らなかったのではないでしょうか

Strolyの水戸案件『歴史講談 水戸漫遊』の何が「技術者倫理にもとる」ほど問題なのか

先日、Strolyのid:maechabinさんとTwitter上で少しやりあいまして、

たびたび話題に挙げている彼らの水戸案件の問題に言及したのですが、
彼との過去のやり取りではたびたび言及しているので、水戸案件の何が問題かはさすがに彼は理解していると思うのですが、採り上げて論じたことはなかったのと、万一彼も理解していない可能性を考えて、採り上げて論じることとします。

ちなみにStrolyの水戸案件とは、これのことですね。 m.stroly.com

顧客の利益のためならば、自分の製品ではなく汎用手法を薦めることも技術者の倫理だと私は信じる

具体的に彼らの案件の問題を論じる前に、逆に私の元に別の案件が来たとき、私がどのように応じたかを例に挙げてみましょう。
つい最近、某ミュージアムの展示品案件で、私の元にMaplatを使ったシステムにできないか、と友達経由で相談が来たのですが、

友人:
詳細は分かりませんがベクターデータもあるそうなのですが、ベクターとなるとMaplatでは扱えないでしょうか?
こちずふぁん:
ベクターの意味がわかりませんが、もし線を描く意味だと、Maplatは地図上に線を引けますので対応できます。線のアニメーション機能はなく描きっぱなしですが、フル制御をコーディングする必要がありますが、高速で消して描いてをくりかえせば、アニメしてるように見せることもできると思います。
そうではなくベクタ地図ならば、MaplatはMapboxのベクタ地図レイヤを作ることもできるので、スタイルを差し替えれば対応できると思います、私はやったことありませんが。
ただ、Maplatはどこにでも適用するツールではないので、もしMaplatででもできるけど他のツールででもできる案件なら、自由度は圧倒的に他のツールの方が高いでしょうから、他のツールでやるべきです。
Maplatに向いている案件は、不正確な地図を補正などかけずに利用したいユースケースがある案件です。
それも、正確な座標の1対1対応や、線と線の正確な対応、地図同士の自由な切り替え、正確な地図との相互運用、オフラインやイントラネットでの利用といった特殊な要件が絡まない、ゆるふわな位置合わせユースケースでよければStrolyでもできるので、そういった特殊なユースケースがあり、かつ不正確な地図を利用するユースケースであれば、Maplat以外の選択肢はないと思います。
が、不正確な地図を含まない、正確な地図だけで完結できるユースケースなら、既存のGISツール使う方が自由度も高いのでそうすべきだと思いますよ。
その辺も含め、正確な要件もらえれば何を使うべきか含めコンサルできます。

このように回答し、そして実際に私がコンサルした結果、この案件はMaplatの採用を見送り、汎用的なGISツール(OpenLayers、Leafletなど)を用いて実装することになりました。
この案件のユースケースで、Maplatで実現できないことは何一つありませんでした、が、汎用的GISツールでも実現できないことは何一つありませんでした。
実現できる機能に差がない以上、Maplat案件の実績を得るためにMaplatをねじ込んでもよかったはずなのですが、要件上は問題なくても汎用的なGISツールを用いた方が将来の拡張や運用上のメンテなどで利点があるため、顧客の利益の立場に立ってコンサルするべきだと考え、Maplatを採用せず汎用GISを勧めました。
いまだに知名度のないMaplatの実績を1つでも増やしたかった意味では苦渋の判断でしたが、私はこれが技術者としての倫理だと思っていますので、Maplatをねじ込まなかったことを後悔はしていません。

Strolyは、自分たちの技術が採用されることによる顧客サイトの価値低下など無視して、受注を掠め取った

これに対して、Strolyが水戸案件でとった対応はどうだったでしょうか。
水戸案件の絵地図がイラストマップ的な不正確な絵地図であったならば、Strolyで扱うべきデータなので、案件を彼らの汎用システムで受けて全く問題なかったでしょう*1
ところが、水戸案件の場合、想定される機能要件を満たすにはStrolyである必然性は全くなく、それどころかStrolyを使うと機能要件は満たせても非機能要件部分で多くの価値の低下を招くような案件でした。

非機能要件での価値観低下は多岐にわたりますが、一番大きな価値観の低下は「Strolyは正確な地図を正確な地図のまま扱わないこと」です。
水戸案件のサイトで、絵地図と正確な地図を切り替えてみてください。

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Stroly水戸案件 - 絵地図側

f:id:kochizufan:20210713104416p:plain
Stroly水戸案件 - 正確地図側

全く同じ位置でただ単に地図切り替えボタンを押して切り替えているだけにもかかわらず、地図が全く重なって表示されておらず、ユーザは自分の現在地を見失い、著しく地図利用上のUXを損ねています*2
これが絵地図側が不正確な地図ならば、汎用GISでは扱えませんから、Strolyを提案するのも間違いではないでしょう。
ところが、水戸案件の場合、絵地図側は正確な地図です。
汎用GISで扱える形でデータ化できますし、それを使ってサイトを実現していれば一切ユーザにUXの低下を感じさせることもなかったにもかかわらず、自分たちが受注するためだけにStrolyをねじ込んでいます。
冒頭で私の元に来た相談のように、私のMaplatは機能要件も満たしつつ非機能要件もほぼ低下させることなく実現できてさえ、それでも汎用ソリューションでできることは汎用ソリューションでやるべきだとMaplatを薦めませんでしたが、Strolyは機能要件は満たせても非機能要件部分で大きく顧客に不利益を与えてさえ、自分たちの製品をねじ込もうとする非倫理性を持ち合わせていると言えます。

実際に、機能要件、非機能要件をリストアップしての価値比較

実際に、汎用GIS、Maplat、Strolyで水戸案件を実現した場合の、機能要件非機能要件での実現価値のマトリクスを以下に作成しました。
機能要件部分はどのソリューションを使っても実現できますが、非機能部分で大きな価値の差があり、客観的に見てこれでStrolyを売り込もうという考えが分かりません、正気の沙汰かと思います(別にStroly社が受注して、汎用GISでSIして納入してもいいわけですからね、ただその場合、Stroly社でないと実現できない案件ではなくなりますが)。
位置情報システムのできることの違いがわからないお客さんが気づかないのをいいことに、「我々しかできませんよ」とか騙くらかして受注したのか、或はそもそも、彼ら自身まともに技術を目利きする力がなくて、本気で自分たちしかできないと思って粗悪品を売りつけたのか。
いずれにせよ、すごい技術者倫理の欠如だと思います。

要件の種別 項目 汎用GIS Maplat Stroly
機能 水戸の絵地図を表示する
機能 水戸の見どころピンを表示する
機能 ユーザのGPS現在地を表示する
非機能 サーバ自由度 *3 *4 *5
非機能 システム汎用性、拡張性 *6 *7 *8
非機能 データ汎用性、拡張性 *9 *10 *11
非機能 地図UI/UX *12 *13 *14
非機能 サイトデザイン*15
非機能 コスト *16 *17 △?*18
非機能 来訪者分析*19 *20 *21 *22

実はStrolyが受注する前に私のところに相談が来ていた水戸案件、正確な地図案件だと分かっていればStrolyを使うなとちゃんとコンサルすべきだった

水戸案件にStrolyが使われたことも問題点は以上ですが、実はこの水戸案件、数年前に話が出始めたときに、私のところに相談がきていたのですね。
もちろん別に顧客が私に相談したわけではなく、顧客が相談した先がまた知人に相談して...と何段階かを巡った先に水戸の博物館で学芸員をしている私の友人に相談が来て、水戸の絵地図でStroly的なことをしたいという相談が来てるんだけどどう思う、と相談されました。
もちろん、Strolyに案件を渡すよりできればMaplatで案件を取りたかったですが、しかし当時のMaplatはまだ協力会社も少なく、水戸近辺で案件を受けようとフロントに立って動いてくれそうな会社のあてもなかったので、そこで無理して受注しようとわちゃわちゃして顧客に迷惑かけてもなんなので、まあ1案件くらいStrolyに渡してもいいんじゃね、ということで特にアクションを起こしませんでした。
その時はまさか想定されている絵地図が、不正確なものでなく正確な編集絵地図であるということを知らないまま、まあ不正確な古地図ならStrolyが使われるのもしょうがないよね、くらいの感覚でした。
正確な地図だとわかっていれば、Strolyという会社の不誠実さは身をもって、人生をもって知っている立場ですので、顧客に不利益を与えないため何が何でも阻止したのに...と残念でなりません。

大手を振って正確な地図もStrolyで扱える環境づくりのためにこそ、Maplatエンジン採用を薦めたのだが...

このように、Stroly自身の主要機能である不正確な地図処理という矩を越えて、正確な地図だけを扱う案件でStrolyを採用することは、明確な顧客不利益であり技術者倫理的にはあってはならない事でした。
それだけではなく、これはさすがにStrolyに競合製品であるMaplatを売るべきだったとは言えないので倫理に反するとかの話ではないにしても、そもそも不正確な地図処理においてすら、Strolyはあらゆる面でMaplatに劣っており、StrolyでできなくてMaplatにできることはあっても、MaplatでできなくてStrolyにできることはほぼなかったので、つい最近まではそもそもStrolyは、金を集めて名前だけ売れてるので知名度で商売はできていたのかもしれませんが、技術的には存在価値のない技術でした*23

このStrolyの技術的危機状況に対して、新しくStrolyの技術をリードされるようになったid:maechabin氏が取り組まれているのが、地図を用いたコミュニケーション手段などの新しい売りをStrolyに加えることでした。
これまでのStroly技術は陳腐化しておりMaplatと技術勝負しても勝てないので、新しい売りを作ろうとすることはとても正しい戦略だと思います*24

当初、maechabin氏はこの新しい機能の導入とともに、Strolyで古地図と正確な地図の切り替え機能を廃止するようなことを言っていました(それ自身は、私の受け取り間違いだった可能性も否定はしません)。
もしそれが実現していれば、StrolyとMaplatは何ら競合する技術ではなくなりますし、Strolyとしても陳腐化した地図の座標変換以外にも売りができるので、対立する立場ですが双方Win-Winです。
何より、これによって将来のStrolyが水戸案件のような、売りつけるために顧客に不利益な案件を押し付けるようなこともなくなります。
なのでこの間私も、Strolyの新しいUI/UXにバグレポートや利用感フィードバックを送ったりと、Strolyに協力しました*25

が、(私の勘違いだった可能性はあったにせよ)machabin氏は突然、前言を翻し古地図と正確な地図の切り替え機能は廃止しないと表明しました。

これに騙された!と思いましたが、しかしいずれにせよ、Stroly社は方向転換し、今後は地図を用いたコミュニケーション機能を売りにしてビジネスをしていくことに舵を切ったわけです。
であれば、これまでStrolyが虚飾の売りにしていた古地図座標変換技術の存在を売りにしていく必要はないはずで、その部分を最先端の技術であるMaplatエンジンに切り替えても問題にはならず、むしろ水戸案件のような正確な地図を正確な地図のまま扱う必要のある案件でも、Maplatは正確な地図を正確な地図のまま扱えるので胸を張って受注でき、Strolyにとっても益しかありません。
何より、これでStrolyとMaplatが協力関係になれば、別にStrolyを卑怯な会社などとあげつらう必要なく、ともに前に進むことができます。
そう考え、私は代わりにStrolyのエンジンとしてMaplatを採用する案を提案しました。

ですがこの提案を、最終的にmaechabin氏は否定されました。

いやこれ、別に向かう方向の重点は違っても、「古地図と現代地図を切り替えるという機能」自体は能動的に温存している以上、そこは最善のソリューションを使った方がいいんじゃないですかね?
ましてや自分の会社が、過去にその部分で粗悪品を売りつけた前科があるのならば。
にもかかわらずそこを改善しようという意思を持たないということは、そもそも粗悪な技術を売りつけることに悪いという観念を持っていない、改善する意思もない、すなわち新しい売りを作っていくと表明した今後においてすら、やはり引き続き粗悪なソリューションを顧客に売りつけていくし、それを売りとして投資家から金を巻き上げることもやめない意思の表明とみられても無理はないと思います。
とはいえ、まあ本当に彼らが売りを地図上でのコミュニケーションに置いて、水戸案件のような事故案件を引き起こさないのであれば、私の目の前から消えることになるので別にこれ以上追求する気もないのですが、

まあそんなことは起きそうにないので、私の目の前にいる限りは、今後ともしっかり彼らが卑怯で倫理にもとるビジネスを引き続き行わないか監視し、アンテナに引っかかればこれまでどおり、投資元や顧客への情報提供などを行っていきますよ。
...というか、いつまでこんなこと続けるんですかねこれ?私は被害者なので、あと追加で10年続こうとも私の方から折れることは絶対にしませんが、しかし今回のようにこちらから手を差し伸べることは何度も行っているのですが、そのたびに差し伸べた手を払って反目を続けるのがStrolyの側なんですよね。
いい加減大人になりましょうよ...。

まともにGISの価値観もわからない、GISで扱うべき案件を貶めてまで虚飾を得たいのなら、GISエンジニアの看板など下ろしちまえ

で、この記事を書いている間に、無事Twitterでmaechabin氏にブロックされました。すばらしいですね。
とても優秀なエンジニアの方ではあるのですが、まあStrolyにはまればこうなっちゃうというか、まあ悪貨は良貨を駆逐するとはよく言ったものです。

この人、Twitterの自己紹介で「GIS技術者」の肩書を名乗っており、また水戸出身のようなのですが、その故郷のはずの水戸に、汎用GISであれば有効に扱えたはずの案件で、自社の自分担当の粗悪品を押し付けた形になっています。

twitter.com

いや、自分の扱う製品で故郷に錦を飾ったつもりだったのかもしれませんが、確信犯なのか、それともGISの価値観が分からなかったのかは知りませんが、結果的に故郷にクソを塗り付けた形になっている。
GISエンジニアの肩書を名乗りながら汎用GISの扱う価値観もわからないのならば、GISエンジニアの肩書など下ろしちまえ!としか言いようがないですね。
そもそも、Strolyというソリューション自体が、私が内部にいたころに、「絵地図を歪ませないという新しい価値観と、既存GISの架け橋になるような技術に育てましょう」と提案したところ、悪名高い男CEOが、「Strolyは新しい地図を扱う価値観だ、既存GISのような古い価値観を駆逐こそすれ、一緒にすることはない」と拒否してそのまま今まで続いている技術ですからね、それに心酔してはまるんならほんまにGIS名乗るのやめろ、としか言いようがないですよ*26

最後になりますが、Strolyの水戸案件の酷い地図切り替えのようなことが発生しない、Maplatが水戸の地図を扱うとこうなる、というのがこちらの「ぷらっと水戸」になります。

s.maplat.jp

Stroly水戸案件の地図は著作権があるので組み込んでいませんが、採用する許可さえ著作者様から頂ければ、Strolyと違って正確な地図とピッタリ重ね合わせて切り替える様を提供できますよ。
著作者様、興味あればぜひ。

*1:まあ、もっと突っ込めば、当時のStrolyでできることは全てMaplatでより高性能に実現できたので、StrolyではなくMaplatを使うべきだったとなるのですが、まあさすがにそれはね。より高性能が実現できようと、Windowsを薦めるAppleの営業、MacOSを薦めるMicrosoftの営業はいないだろうし

*2:余談ですが、私がStrolyの中にいたころ、あの会社の男の方のCEOは馬鹿の一つ覚えのように「地図のコンテキスト、コンテキスト」といっていましたが、正確な地図を正確なまま扱うということも、地図から落としてはいけない最重要なコンテキストです。水戸の学芸員さんが、見る人にわかりやすい地図にするために、一所懸命古地図から拾った情報を正確な地図の上に再投影して実現した大切なコンテキストを、馬鹿な地図会社が売らんかなで自分たちの向いていないシステムを押し込んだために、学芸員さんたちが命を削ったコンテキストが潰されてしまいました。この1件を見ても、あの男CEOに地図愛など一切ないし、自分からの狭い視野の範囲だけでコンテキストコンテキスト言ってるのがよくわかります

*3:どこでも運用可能

*4:どこでも運用可能

*5:Stroly社サーバ上でしか動作しない

*6:誰でも使える汎用的有名オープンソース

*7:特殊性が増すが、オープンソースなので対応不可ではない

*8:改変はStroly社しかできず、自由度ゼロ

*9:生成したデータは他のGIS用途にも活用可

*10:Maplatは汎用データの読み込み可能

*11:Stroly独自のデータ形式のため、他の用途に流用不可

*12:正確な地図として全て扱われるため、ストレスなし

*13:正確な地図として全て扱われるため、ストレスなし

*14:地図を切り替えるたびに位置を見失い、ストレス大きい

*15:Strolyでないと実現できない画面デザインはない

*16:概算、システム100万円弱+デザイン費

*17:システム100万円弱+デザイン費

*18:クラッチ開発と異なり汎用システムのため安くできるなら〇だが、Strolyの商用案件への提供は安くても100万円以上と聞いている

*19:これは機能要件かもしれませんが、機能的には完全に模倣できます

*20:必要であるならGoogle Analytics+CARTOでデータ収集は模倣可能

*21:必要であるならGoogle Analytics+CARTOでデータ収集は模倣可能

*22:システム化されている、後は分析コンサル?にどの程度の価値があるかどうか

*23:もちろん、無償ユーザの視点では、Maplatにはない手軽なオンラインエディタもあるので導入しやすいと言った部分で、売りがゼロだったわけではありませんが、しかしことエンタープライズ分野においては、地図の編集などは基本的に作業受注することを考えると、Strolyの売りは本当にゼロのため、知名度だけで仕事しているようなものだったと思われます。
無償ユーザの集客自体は広告塔にはなれど事業の核にはなりませんし、もしそれで何百万何千万の地図を集めていれば集合知の先行利益を得たでしょうがそんなこともなくせいぜい見積もっても万単位の地図しか集めてませんし、技術の核は後発のオープンソースに全ての面で後塵を拝してさらに特許を押さえられているのでキャッチアップできない体たらく、デザインや無償エディタなども所詮ノウハウは必要なく労働集約型の機能でしかないので、Strolyに多額の資金を出資として集められるような優位性は、少なくとも2017年~2018年頃にはありませんでした。
しかし、この2017年~2018年ごろに、Strolyは大きな調達を複数回(20172018)行っており、それ以降にも小さな調達を複数回行っています。
まあMaplatの存在について知らなかったならば(それ自体市場調査不足ですが)、嘘をついて資金調達を行ったとは言えないかもしれませんが、少なくとも2018年ごろには私からStroly社に内容証明を送っているので、彼らがMaplatの存在を知らなかったという言い訳は通じませんし、競合技術があるならばそれとの比較を資金調達時に説明すべきだったでしょう。
そういったことをきちんと説明したうえで、なお数億円を調達できるような何かStrolyの優位性を説明できた結果調達できたのならば全く問題はないのですが、どう考えてもそのような優位性は一切あの時期のStrolyにはなかったので、外形的に判断して当時のStrolyは「我々は唯一、あるいは最も優秀な技術」と、自ら嘘とわかっている説明をして調達を行った疑いを否定できず、そのことを私はたびたび指摘しています

*24:もっとも、その新しい地図を用いたコミュニケーション手段として実装されている機能自体、私が10年以上前に思い付き4年前に具体化言及した機能と全く同じものでしかありません。まあ、IT業界どんなにアイデアを出したのが早くても実装した方が勝ち、的なところがありますので、別に私もこれに対し過度に私のアイデアをパクったとかも言ってません。
しかしながら、いまだに彼らが私の掌のうちを出られていないのも確かですし、また仮にこの地図を用いたコミュニケーション機能などで彼らが特許を出していたりしたら、それは私の記事で公知のアイデアになっているので当然潰しに行きますし、彼らの恥知らずさを喧伝することとなると思います

*25:このStrolyの新しい売り自体も、別に先の脚注で書いたように私が先に公知にしているので特許が取れるわけでもなく、労働集約で実現できる機能でしかないので、Strolyに守られた技術的優位などはいまだに何一つありません。
ですが、私がStrolyを責める理由は、私が彼らが行った卑怯な行為、違法な行為に被害を受けた被害者という過去の損害に加え、今現に、知名度と卑怯なやり方で集めた資金力で、私のMaplatソリューションの行く手を邪魔している(しかも、相対的粗悪品を売りつけることで、市場への期待値を下げる形で)というリアルタイムの損害を与え続けているからです。
逆に言うと、彼らが私の前に立ちふさがらなくなるならば、私に彼らをあげつらう動機はそこまでありません、過去の損害は言っても10年以上前の話ですし。
Strolyのやり方は卑怯で恥知らずですが、世の中には卑怯で恥知らずなビジネスをやってる会社などゴマンとあるので、その卑怯なやり方で私の前に立ちはだかるようなことさえなけりゃ別に責め立てたりはしないですし、逆にその状況に向かうために協力だってしますね

*26:でもって、その男CEOに否定された価値観を踏襲して、古地図を歪ませないのと既存GISを共に扱えるように進化したのが、今のMaplatでですね

オタクとフェミニストの表現の自由の衝突と、表現の不自由展での表現の自由の侵害について

Twitterで面白い議論があったので、Twitterで論ずるには勿体なすぎるのでBlogでご返答。

表現の自由を守るのに「~の表現の自由だけを守る」というのはありえませんよ。
もちろん一人の人間として活動できることに限界がある中で、分野により力が割けない手が回らないというのはあるかもしれませんが、表現の自由は守るならばすべての表現を守るものです。
そうは言っても俺たちの表現は攻撃してるじゃないか、というのは後で論じるので、総論はこうです。
特定の分野の表現にしか興味がない、とうのは表現の自由を守ってるのではなくて、その分野の利益を代弁しているだけです。
それが悪いと言ってるわけではありません、それはそれで立派な、完全にあってよい政治的立場ですが、それだけであるにもかかわらず表現の自由を前面に出していれば、他の分野での表現の自由に興味を持たなければ揶揄されても仕方ないでしょう。

なお蛇足ですが、建前上表現に貴賤はないとはいえ、もともと表現の自由というものは人類史上最初から存在したものではなく、こちらのリンクにも『なぜ「表現の自由」が権利とされたのか。それは17~18世紀の啓蒙主義の時代を経て、人々の考えや言葉もまた王政や教会権力に対する抵抗の資源となること、そして人々の考えや思想は権力から隔離された自由なものでなければならないと考えられたからだ。』、と書かれているように、国家権力に対して市民が自由に政治的主張を行う権利を、市民が戦った上で勝ち取ってきた者です。
つまりは元々政治的主張の表現を守るために生まれて勝ち取られてきたものであって、制限する意味はないのと、また権力がエログロナンセンスと言ったサブカルチャーへの弾圧を通じて社会を抑圧してきた歴史もあって、政治的表現に限らずあらゆる表現に拡張されていると思いますが、しかしその生まれてきた経緯から考えて、自分たちの分野の表現の自由は守るけど、政治の表現の自由は興味ないなんてのは、本末転倒で人類史上で過去の人たちが勝ち取ってきた成果にただ乗りしているだけになるんですよ。
繰り返しますが、「うちの分野の表現を守ることにしか興味はない」という立場はあっていい、それは立派な政治的立場ですが、そこで「表現の自由」を振りかざすから揶揄もされるしおかしなことになってるわけなので、『表現の自由には興味はないけど、俺はこの分野が好きだからこの表現をさせろ』と素直に表明すればいいのにと思います。

さて、それでは本題に戻って、なぜ「表現の自由は例外なく守られるべきなのに、責められる表現があるのか」という点に触れます。
それはそもそも論として市民社会の常識ですが、市民社会の構成員それぞれが自由と権利を持つ結果として、その自由と権利はしばしば、対等の市民同士間で衝突するからです。
力関係が非対称な権力対市民の間では、基本的には表現の自由は権利として認められるし認められる必要がありますが、しかし何でもかんでも自由に表現していると、他人の侮辱されない権利や差別されない権利を侵すこともありますし、また誰かが発言するのは自由でも、それに対して他の人が批判や異議申し立てを表明することもまた自由であるので、当たり前に市民の間の自由や権利は衝突します。
市民の間でも自由や権利は衝突する以上、理論的に自由は100%行使することは不可能で、衝突するところでは何らかの形で - たとえば社会通念とか、差別や加害行為はしてはいけないとか、等 - 自由を制限して調整される必要があります。
実際憲法上での規定でも、『表現行為が他者とのかかわりを前提としたものである以上、表現の自由には他人の利益や権利との関係で一定の内在的な制約が存在する。内在的制約とは、第一には人権の行使は他人の生命や健康を害するような態様や方法によるものでないこと、第二には人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないことを意味する』とあり、さらに『通説は表現の自由日本国憲法第13条の「公共の福祉」による制約を受けるとする』とされています。
この「公共の福祉」とは、『「社会全体の共通の利益」であり,「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」』であって、政権の都合などで制限をかけられるものではなく、飽くまで市民間の衝突を調整する結果としての制限にすぎません(もちろん、性器を含むわいせつ表現などのように、調整が法律などに記された結果、権力により管理されることはありえます)*1

このような調整の結果、表現の自由と言っても無制限に認められるものではなく、一定程度の制限を加えられるのは普通にあり得ることです。
性器を含むわいせつ表現や、ドイツでのナチス表現のようにそもそも表現が許されていないものもありますし、ポルノなどのように、表現そのものは認められているものの、18歳未満の前や公共の場では表現できない等、表現できる範囲が限られているものもあり、またその制限の根拠も法的に許されていないもの、法で定められているわけではないが表現者や業界の慣習で避けているもの、TPOから個別に判断しているものなどいろいろです。
また、この制限自体、未来永劫変わらず一意に決まっているものではなく、時代や社会通念、人々の権利意識の変化によってどんどん変わっていくものです。
私の若いころには、テレビでゴールデンタイムのお笑い番組に裸の女性が出ることもありましたし、職場や大学研究室などに男性社員がヌードポスターやヌードPC壁紙を貼っていてもお咎めはなかったし、飲み屋ではビールの販促にヌードや水着女性のポスターが貼られているのは当たり前でしたが、そういったものもそれを不快に感じる女性たちが声を挙げたことで、今では必ずしも法規制されているわけではないものの、それらは見なくなっていますし、表現自体は規制されていなくても一定のTPOの元では非常識な表現として受容されてきています。
こういった表現の制限の変化は必ずしも制限がきつくなる方向にだけ働くわけでもなく、たとえば私の若いころは陰毛が写っていてもわいせつ物だと規制されましたが、今は18歳以下の目に触れない等ポルノの表現規制を満たしている範囲では、陰毛が写っている表現も認められるように変わってきています。
いずれにしても大切なのは、自由と権利の衝突を調整した結果として表現に規制をかける規範は、過去から未来まで変わらず一緒だったわけではなく、変わっていくものですし、そしてその変わりつつある時は、新しい権利の異議申し立てをする人々と既存の価値観を持つ人々の間では、衝突が起きるものだということです。
今ではアメリカでも黒人が白人と同じ学校に通ったり同じバスの席に座ったりするのは当たり前ですが、その権利を勝ち取り新たな規範にできるまでの間は、同じ学校に通おうとしたり同じバスの席に座ろうとした黒人は、白人から激しく攻撃されたり、官憲に逮捕されたりもしました。
それと似たような段階が、今のフェミニズム周辺での表現問題の現場で起きていることだと思っています。

いや、誰かの表現を批判するのもまた表現の自由と言っても、少しでも批判されればすぐ元表現が制限されるのでは表現の自由など絵に描いた餅になるのは確かです。
人の好き嫌いの感覚は千差万別である以上、それこそアンチフェミニストたちがよく使う用語の、個人の「お気持ち」程度で表現の範囲が妨げられるようなことがあってはいけません。
が、私は昨今のフェミニストたちの公共の場での性的強調された表現の制限の主張は、かつての歴史上の黒人の生存権拡大や公共の場からのヌードの排除などと同様、個人のお気持ちレベルではなく普遍性を持ちうる主張だと考えています。
恥ずかしながら私自身、かつてはずっと非モテだったこともあり、口に出したことこそなかったものの内心では、「しょせん女性はイケメン無罪なんでしょ」とか思っていた時期もありましたが、エロに飢えていたこともあって現役/引退AV女優や若い女性のSNSなどをフォローして見ていた結果、多くの女性が小中高と言った若い頃から、男性側から性的にモノのように消費搾取しようとするまなざしや痴漢などの実害を、イケメン無罪とか関係なく素で本気で嫌悪しているし、気持ち悪がっているということを理解しましたし、なので過去のさまざまな権利獲得活動と同様、女性が気持ち悪い男性の性的欲望を日常で意識させられることなく気持ちよく暮らせる権利も確立されるべきものだと私は思っています。
もちろんそれに対し、黒人の生存権拡大に対し多くの白人が抵抗したように、俺たちの街角シコリティを守れ、俺たちは自分のプライベートな部屋だけでなく公共の街角でもシコリティの高い絵を見てムラムラしたいんだ、その権利を持っているんだ女性の嫌悪感など知ったことかと、反対の立場で言論を展開するのも立派な政治的立場ですし、主張して現状維持を勝ち取ろうとするのも全く正当な表現の自由です。

ですが勘違いしてはいけないのは、双方の立場とも相手にすべきは社会であって、別にこれは相手を論破し認識を改めさせるゲームではないのです。
黒人の生存権拡大でも、差別主義者の白人が認識を改めたから黒人の生存権が拡大したのではなく、いまだに内心黒人差別のレイシスト白人は山ほどいますが、そういった社会の変化についていけない差別主義者連中が認識を改められないのを置き去りにして、社会の大勢が黒人の生存権拡大という新しい価値観に納得すれば、社会通念は動くのです。
フェミニストがオタクを納得させられなかろうが、あるいは逆にオタクがフェミニスト折伏できなかろうが、社会の大勢、あるいは個々の事件のミクロでみるとJAや献血センターと言った判断主体が、どちらかの主張に納得して行動に反映すれば、変わるにしろ現状維持にしろ社会通念は決まるのです。
その意味で、このフェミニストとオタクの一連の諍いは、表現の自由が妨害されている事象ではなく、単に双方が表現の自由を行使した結果、当たり前に起きる衝突の調整プロセスに過ぎません。
まだ、フェミニストの側が、「性的にきわどい表現に存在の場を許すな、発禁にさせろ」と主張したり、主張内容を実力で勝ち取るために迷惑行為テロ行為の実力行使に出たり、政治権力を動かして弾圧したりすればフェミニスト側が表現の自由を侵そうとしていると主張できますが、穏当に「そのような表現はあってもよいが、公共の場では控えるべきである」と主張しているだけの限りで、かつ実力行使したりもなく穏当に自分たちの権利要求を伝えているだけの限りにおいては、許された正当な対抗言論の表現の自由を行使しているだけであって、「表現の自由を侵害している」などと非難される類のものではないと言えるでしょう。

これに対し、表現の不自由展の方はどうか?
天皇御真影を燃やすな」などというのは個人の思いとして主張するのは自由ですが、全くもって主張する人の気分を害したという程度の「お気持ち」でしかなく、なんら普遍的な権利侵害の主張に昇華できる余地のないものです。
むしろ、表現の自由などなかった戦前の時代に、「不敬罪」という形で天皇に関する表現が制限されていた時代があったことを考えると、どのような立場からの人の主張があろうと、完全にこれはあってはならない表現の自由の制限にあたります。
さらに表現の不自由展の場合、テロ行為に近い実力行使によって表現を遮ろうとする行為や、行政担当者が先頭に立って表現の場を奪おうとする動きもありました。
これは表現の自由の侵害の一丁目一番地であり、自分の興味ある分野だとかそうでないとかにかかわらず、これに声をあげないのであれば表現の自由にかかわっていると主張すべきではありません。

以上長くなりましたが、まとめますと、以下の通りになります。

  • 公的な場での性的にきわどい表現の是非に関するフェミニストとオタクの諍いは、表現の自由の侵害ではなく、お互いの表現の自由が衝突しているだけである。フェミニストの権利要求に対し対抗言論を行うのも全く正当な政治的権利だが、そこで表現の自由の侵害などを持ち出すべきではない。
  • 表現の不自由展は、教科書に載るようなド直球の表現の自由に対する侵害であり、それに声をあげないのであれば表現の自由に関わっているなどと主張すべきではない。

*1:ちなみにですが、この権力側からの制約ではない「公共の福祉」概念がよほど気に入らないのか、自民党改憲案では「公共の福祉」がほぼ「公益、および公の秩序」という権力側からの関与、定義を可能にする概念に書き換えられています

昔考えた中国神話設定サルベージ & お焚き上げ

ひょんなことから、10年以上前に昔はてなグループで書いてた中国神話の設定をInternet Archiveでサルベージしました。
別に歴史的事実を追求してるとかではなく、中二病的な(?、笑)小説とかの設定に使えそうなつじつま合わせをしただけのもので、多分いま改めて調べると間違ってる部分も多いでしょうが、とりあえず当時調べた範囲ではある程度つじつまを合わせたものです。
今から改めて調べ直してつじつま合わせ直しとかまではしませんが、なんとなく捨ててしまうのももったいないので、お焚き上げ代わりにフリーアイデアとして公開します。
私はこの先もう小説家になったりとかはないので、もし気に入ったらパチってもらって結構です。

関連Googleマイマップも作ってました。

www.google.com


現状の個人的まとめ案*1

史実を追及するというよりは、この辺をネタにしたゲームだの小説だので使えそうな汎用プロットの作成に重点。

系列 構成 主要固有名詞
伏羲系 苗族源流 風⇒好 伏羲,女媧,太昊,嚳,舜,羲和,商朝
神農系 羌族主流・苗族融和 神農(炎帝),燧人,祝融,蚩蚘,縉雲,饕餮,三苗,斉国
黄帝 神農系から分かれた中原華族 黄帝(軒轅),帝鴻,渾沌,驩兜,周朝
少昊系 羌族傍流・東夷融和 少昊,窮奇,共工,堯,羿,嫦娥,秦国
顓頊系 少昊系から分かれた東夷⇒夏族 顓頊,檮杌,鯀,禹(夏朝),逢蒙
  • 考え方

    • 元々の発想は、四凶の故事を太古の豪族の勢力争いとして捉えられないか、と考えたもの。追いやられた四凶+中央で五勢力。
    • 四凶は縉雲(炎帝系?)-饕餮-三苗,帝鴻(黄帝?)-渾沌-驩兜,少昊-窮奇-共工,顓頊-檮杌-鯀のラインでそれぞれまとまった。そしてそれを追いやった舜、の五勢力があったのでは、という仮説。
    • 五天帝が中央黄帝,南方神農,西方少昊,北方顓頊,東方太昊又は帝俊、という情報あり*2。もしこれが正しければ、帝俊=帝嚳=舜という情報もあるので、四凶+舜の構図にぴったりあう。また、東方天帝は太昊(伏羲)、という情報もあるので、伏羲=女媧=帝嚳=舜を同族ラインで結ぶ。
    • 伏羲,女媧は苗族系、共工羌族系との情報が強い。神農及び眷属の蚩尤は姜姓なので羌族っぽいが、蚩尤が三苗=>楚と繋がったり、四凶の親である縉雲氏は南方地名と、南方=苗族の影響も大きく感じる。後世の制服王朝のように、苗族(伏羲系)中心だった中原に、羌族が侵入し上位に立ったが、中原の習俗に同化した構造(支配層の羌族と民衆の苗族の融和政体)ができ、それが神農系になったのではないか。
    • 或いは共工は、羌族の神名ではあるが、そもそも羌族視点から見ても悪神なのかもしれない。その場合は、共工(少昊系)は羌族系ではなく、東北騎馬民族の祖の可能性も。
    • 一方、羌族の侵入から逃れた苗族(伏羲系)は南方へ、中原の習俗に染まらなかった羌族(少昊系)は、中原の神農系とも争いつつ、北方⇒東北へと移動したのではないか。
    • 黄帝系は、神農系から分かれた*3、中原由来の勢力ではないか。黄帝に最後まで歯向かった神農系で羌姓の蚩尤、及びそれに従った九黎族*4は、神農系での支配層羌族+民衆苗族の構造を表すのでは。
    • 後の周朝も、姫姓で黄帝系。よって黄帝が中華、華夏族の祖として祀り上げられる事となった。同時に、周朝に協力した羌族(神農系)の祖も、元は同祖である事もあり、炎帝として黄帝に次ぐ地位を与えられる事になった。
    • 中華の祖としての格付け上、その後の支配者は全て黄帝の血筋、という格を与えなくてはならなくなった。よって、よほど強い繋がりでない限り、「〜は黄帝の子孫」は無視できると思われる。或いは、有力氏族同士の縁戚関係はあったかもしれない。
    • 東方に移った少昊系は、東夷の力を借りて勢力を高め、一時中原から黄帝系を駆逐する。が、少昊系の支配下にあった*5東夷・夏族が力をつけ始め、中原に力を投射できるまでに発展し、もっとも後発の顓頊系が生まれる。
    • この後しばらく、中原の覇は伏羲系、少昊系、顓頊系のみで争われ、神農系、黄帝系は諸侯としては力を保つものの、覇権の表舞台からは消える。
    • 帝俊(帝嚳と同一視)の子である十の太陽を撃ち落としたので、羿は伏羲系とは敵対する勢力。また、顓頊系である夏を一時攻め滅ぼしているので、顓頊系とも敵対する勢力。そして少昊の出身地、山東省の窮桑と、羿の治めた山東省の有窮国が、名前と地域がよく似ているので、羿は少昊系に含めた。この辺は割と根拠薄弱なので、今後変えるかも*6
    • 四凶は、帝舜の時代に、自族以外の有力諸侯を四辺へ追いやった事の記録か。帝舜(伏羲系)の御代なので、五天帝では中央に来る黄帝系も西方に追いやられている。ただし、後に黄帝系/神農系連合(周王朝)が天下を握るので、この二勢力に関する不名誉な記録は直接的な表現ではなくなっている。
    • 堯はよく判らないが、羿に十の太陽を落とせ、と命じているので少昊系に加えた。
    • 夏王朝は当然顓頊系。商王朝は判らないが、顓頊系の夏を倒し、黄帝系/神農系連合の周に倒されているので、伏羲系か少昊系のどちらか。で、信用度はきわめて眉唾ながら、『古代氏族の姓に女の文字が含まれるのは、祭祀を司ったから。商朝及びその後継国家の姓が「子」で女を含まないのは、周朝と争ったため、祭祀を共にしない事を表すために周朝が女偏を奪ったから』という情報があり、少昊系はその後の秦国等に繋がり女を含む嬴姓であるのが判っているのに対し、伏羲系がその頃の姓が判らないので、好姓=商朝を担ったのではないか、と割り当てて伏羲系へ。
    • その後、商周革命で黄帝系が再び天下を握り、五天帝でも中心の地位へ。
  • 四凶と五天帝のズレ

系列 四凶 天帝
黄帝 中央
神農系 西
少昊系 西
顓頊系
伏羲系 中央
  • 偶然と思うが、1つずつズレて循環している*7。もしかすると、黄帝系が天下を取り中央に移動⇒これまで自分達がいた南を、中央に次ぐ地位と考え、功績があった神農系に譲る⇒神農系が居た西を、易姓革命の順ではもっとも遠い昔(夏より前)に天下を取っていた=危険度の少ない少昊系を置く⇒少昊系のいた北に、その次に危険度の低い顓頊系を置く⇒顓頊系のいた東を、もっとも低い地位として、直前の王朝であり危険度の高い伏羲系を置く、といった形にし、呪術世界での序列をつけたのかも。

  • 全て、飽くまで妄想です。こういう設定での小説とかあったら面白いかな、程度の。

*1:こうまとめたら見方として面白い、という程度で史実だと主張するわけではない

*2:ただし、これ自体袁珂という人の個人説では、ソースはないのでは、という情報もあり。

*3:黄帝は神農の兄弟という説あり

*4:後に三苗、楚になったとの情報

*5:この辺について、顓頊は東海にて少昊に育てられた、と表現されている

*6:例えば、十の太陽は火烏の背中に乗って飛んでいたので、火がシンボルの神農系とも繋がるし、鳥トーテム繋がりで少昊系とも繋がる。実際、十の太陽の母親である義和は、炎帝の眷属で、子孫に少昊がいる、という情報もあり。神農系から帝嚳に婚姻関係があり、少昊が子孫=>血筋繋がりではなく後を襲った意味、と考えるとつじつまが合う?

*7:このような並びになる確率自体は5分の1なので決して低くはない

汎用指向の方からニッチな活動が評価されないのと同様に、ニッチなユースケースから汎用データが評価されないのも当たり前じゃね?と思う話

これは誰を責めるとかでもなく、こんなこともあった、という上で自分の感じてることを述べる枕とするだけなのだけど、

先日、某地域のMaplatを整備する議論をしていた際に、観光情報としてピンを立てたいのだけど、その場所に使える観光オープンデータがない、OSMでPOIをサーチしてもショボいし、でもない以上仕方ないので、Wikipediaoverpass API + Wikidata APIOSM検索した結果の表示で妥協するか、みたいな話をしたところ、その話をしていた相手の人に、一生懸命労力費やしているOSMをショボいデータ扱いされて悲しかった、という反応を受けたことがあって。
いや、その感覚が逆に全く分からないのだけど、かけた労力とか関係なく、ちゃんとそれ向けに使うことを想定してて作られていないユースケースで使えないと言われたからと言って、当たり前だと思いこそすれ、残念だと考えるのっておかしくない?
いかに偉大なプロジェクトでも、それで全てのユースケースが満たされるのだ、それで満たされる範囲で各ユースケースは我慢しなければいけないのだ、という発想の方が傲慢じゃない?

ぶっちゃけ、この手のサイトばかり作ってきた身としては、妥協案の「Wikipediaをoverpass API + Wikidata APIOSM検索」ですら不満しかないのよね。
別にマイナーな地物で、Wikipediaの分量がミニ読み物程度しかない地物なら割と必要十分なんだけど、観光アプリに興福寺のピンが立っていたとして、

ja.wikipedia.org

この分量を観光の出先で観光客が読む?
観光客向けに想定するコンテンツなら、やはり観光客がちょこっと知りたい範囲のことをコンパクトかつ必要十分に満たした専用データがまた別に必要だよね、と、本気で各ユースケースを考えていたら思うわけで。

なので、会津若松市水戸市のこういうオープンデータが貴重なわけです。

www.city.mito.lg.jp

data.data4citizen.jp

これらの街のこういったデータの存在が私の考えていたユースケースにベストマッチだったからこそ、感動して、他の町でも整備したいと思い、(まだ活用できる形で公開してないけど)会津若松のデータは英訳版も作ったり、「ぷらっと館林」で使ってる館林の観光データなんかは自分で一から作ったわけです。

s.maplat.jp

まあ、思ったより大変なので、結局他の町などには拡張できずに、他の町ではWikipediaOSM検索みたいな妥協案に走ってるわけだけど、本気でユースケース考えてたら専用のデータ作るのが当然だし、そして館林のデータ作るために、私は(全部活かしたかはともかく)10冊20冊レベルの本に目を通すくらいの労力を費やしてるわけで。
そのくらい労力かけてつくるものが本来のユースケース的にはベストマッチのところに、OSMのメインユースケースには必要十分とはいえ、町はむちゃくちゃ歩き回ったんだと思うし大変だったとは思うんだけど、本の一つも開いたわけではなく整備したデータを、観光コンテンツに使ってほしいし不十分だと言われたら悲しいとか、むしろこちらの方が、その程度のデータしか必要でないユースケースと思われてるのが悲しいというか、傲慢さを感じてしまうのですよ。

というか、汎用データの必要性はわかるしそこに労力が集中するのもわかるけど、みんなそれを万能に考えすぎ。
果てはOSMは自動運転にも使えるとか、どれだけ個別ユースケース舐めてんねん、という感覚しかない。
その業界に従事している身からすれば、OSM単独なら自動運転どころかナビゲーション用途にすら全く足りない代物でしかない*1
汎用で個別ユースケースの機微に気を払ってないデータが、注目されているオープンデータだという理念先行でそのまま無批判で社会システムの中心に検討されてくるようになると、たとえそれが検討レベルだとしても、なんか社会に不幸しか呼ばへん感覚がある。
それって、トップダウンボトムアップかが違うだけで、結局単に「選択と集中」になっとるだけやんけというか。

必要なのはもっと多様性やろと。
(後で書くように、別に自分の活動をもち上げたいために書くわけじゃないけど)私も奈良地蔵オープンデータとか館林石造物オープンデータとか、みんな最初はWikiなんちゃら系をプラットフォームにして整備してたけど、だんだん自分の考えてるユースケースと汎用データ仕様が合わなくなってきたので、独立して整備するように切り替えたんだけど、結局いろんな用途に本気で対応させてクリエイティビティを出そうと思ったら、譲れない部分で汎用から外れていくのは当たり前だと思う*2
特に大した要件のないユースケース古地図のオープンデータ化とか)は、今でも汎用Wikiなんちゃら系をプラットフォームにしてますしね。
多様性が重要だと思うから、汎用から外れることに躊躇しないし、逆にいうと自分が個別のユースケースしか考えてるのは十分に理解しているので、どんなに頑張っても、汎用のユースケースしか見えてない人に評価されないのは当たり前だと思うので、別に評価されないから辛いと思うこともないです*3
一生懸命頑張ったのだから評価されるべき、というのならば、私なんかCode for Historyの活動で、先日計算することが合ったのだけど、Maplatの開発活動だけでも3000時間以上費やしているので、普通に評価されてもいいはずなんだが、ユースケースがニッチ過ぎるので汎用指向の人に評価されなくても気にもならない。
同様に、汎用ユースケースで一生懸命整備されているデータでも、ニッチなユースケースの立場から見て、これ使えないなと判断するのは別に全く問題ないと思うし、そこで傷ついたとかって少し傲慢になってない?と個人的には思ったりするのです。

*1:ただし、OSM+αは全く否定しない、うちの製品でもOSMを一部材料に使うかという議論も出てき始めているし

*2:飽くまで個人的思考法ではですが

*3:私がたまに人と揉めてるのは、明らかにこちらの成果から実利を得ているのに、それを還元しない連中と揉めてるだけなので、別にそもそも他人からの評価がないと辛いということはないです。もちろん評価されると嬉しい、というか本当は辛いけど評価を要求できるような活動は自分はしてないというのはわかってるので別に評価されないからといって辛いと口にすることは基本ない。

株式会社コギトの社長、開発部長、法定代理人に内容証明を送付しました

以前ブログでとりあげた

blog.code4history.dev

こちらの件、及びその後こちらがとったアクション

www.value-press.com

などで、Maplatを利用してambula mapを開発している株式会社コギトともめておりますが、このたび、同社社長と開発部長に内容証明を送付しました。
また、本当に偶然なのですが、社長に送付した日の翌日、開発部長に送付した日の午後に、コギトの側からも、法定代理人から内容証明が届き、それに対しても即日内容証明で返信しました。
その内容について、こちらで公開いたします。
いずれも1時間くらいは推敲に使ったつもりだったのですが、にもかかわらず特に法定代理人に送ったものは文章が主語述語の繋がりがおかしなところがあったりして恥ずかしいのですが、内容証明で送った内容を、文章がおかしいからといって勝手に修正するわけにもいかないので、そのまま掲載します。
コギトから送られてきた内容証明についても、ブログで公開してよいか確認中ですので、その確認が取れましたら公開いたします。

コギト社社長への内容証明

株式会社コギト太田社長
古地図ライブラリMaplatを開発しております、任意団体Code for Historyの大塚と申します。
お世話になります。

御社は、上記弊団体が開発しております古地図ライブラリMaplatを利用して、古地図絵地図アプリambula mapを開発しておられます。
が、オープンソースで提供しておりましたこのライブラリに対して、あまりにも一方的に使うだけでコミュニティへの貢献がなく悪質なただ乗り(フリーライダー)利用者として振舞われるので、最新版以降のMaplatおよびその関連ライブラリについて、完全なオープンソースライブラリとしての公開を停止し、御社を名指しで利用を全面禁止する措置を実施させていただきました。
本件のプレスリリース:
http://bit.ly/maplat_license
実際のライセンス文言:
http://bit.ly/maplat_license_txt
当然のことながら、単に利用するだけではなく、ソースコードの閲覧、参考にするなども一切禁止させていただいております。
ですので、過去のライブラリを使っている限りは、飽くまで法的には問題はありませんが、セキュリティ対応、OSのアップデート対応などで過去のライブラリが動かなくなり、更新が必要となった場合に、当方のライブラリを更新したり、参考にしたりした場合は法的に権利の侵害になりますので、その点を明確に確認しておきたく、本内容を送らせていただいております。
単にライブラリ利用の著作権違反というだけではなく、当方本ライブラリの実現に必要な特許も取得しており、その特許の利用権付与もライセンス内に含まれておりますので、知的財産権レベルでの法的権利侵害になりますので、その点ご認識いただければ幸いです。

また、前述の通り、過去のライブラリを使っている限り、オープンソースライセンスですので法的には問題ありません(例外もあり後述しますが、私が私側も被害をえる覚悟で、骨を切らせて骨を断つアクションを起こさない限りは、基本問題ありません)。
ですが、私がMaplatをオープンソースで公開していた理由は、私1人では限界のあるMaplatの開発を、誰でもそれから利益を得られるオープンソースにして公開することで、逆に広くMaplatへの協力を集めて開発力を向上させることを目的として公開していたものです。
御社のように、Maplatの利用で、商用の利益を得ておきながら(ここで利益と申しているのは、既に黒字になっているいないを指しているのはありません、当然ながら)、いっさいコミュニティに貢献を返さないような利用を許すためにオープンソースにしたのではありません。
御社が今のような利用をされているのは全く私の望むところではありませんし、むしろ御社がただ乗りで、私が資金と時間を費やして開発した成果で、本来私がやりたかったような事業をしているのを拝見すると、なんでこんな連中においしい思いをさせるために自分の資産を投入してきたのかとモチベーションは下がる一方で、ただちに利用を停止していただきたいと考えております。
オープンソースの理念から見ても、御社の利用は常軌を逸しております。
http://bit.ly/opensource_phil
法的には問えませんが道義的に、即座にMaplatを利用した商売を停止いただくことを、Maplatの全ての著作権特許権を持つ者の立場から要求させていただきます。

要求事項としては以上ですが、念のためこれまでの御社と弊団体との関係を整理させていただきます。
当初、御社臼井氏が弊Maplat技術を見つけ、私に協力を求めてこられたのが関係の始まりです。
私としては、御社に協力すれば、その見返りとして御社より様々な協力が得られるものと期待して、その申し出をお受けしました。
「様々な協力」とは、法人も立ち上げていない私一人ではできない様々な活動への御社の助力、たとえば私の協力者への定期的な商用タスクの発注や、私一人では獲得できない顧客相手向けの、提案や受注後の編集や企画に関わらせていただけることなども期待してのものでした。
むしろ、私個人として興味があるのは顧客向けの提案や編集、企画であり、それを獲得するための手段として開発を行っており、ですので私の開発した製品を誰かに使ってもらえればそれで嬉しい、で済むものではなく、それを梃子として提案や企画などの案件に関われなければ、私としては意味がないことになります。
そういった経路に繋がるものとして御社に協力を行いました。
それ以降の経緯は、こちらの記事にまとめております。
http://bit.ly/cogito_is_enemy
当方としては、嫌だと伝えたのに御社に強いられた条件を受け入れての開発のみならず、個人的に持っていたノウハウを随時提供してまで御社に全面協力してきたつもりですが、御社からは一切、それへの見返りとしてのコミュニティへの協力、貢献が本当に一切ありませんでした。
対価を支払ったとおっしゃられるかもしれませんが、記事にも書いた通り、それはこちらとしては一旦断ったにも関わらず強いられた開発に対する実働費用であり、それを嫌々でも引き受けたこと自体が御社への協力の一環であって、実働への対価が当方への協力に当たることには一切なりません。
その後の、クローズソース利用期間中の特許権利用料として支払っていただいた費用についても、名目は知的財産権への使用料であって、コミュニティへの貢献では全くありません。
私個人内の気持ち上の扱いとして、御社から一切ギブ&テイクのテイク部分がないのに業を煮やして、最低限取れる額を分捕って無理やり対価とみなして協力返礼を期待するような関係を断とうと考えた結果、要求した額であることは否定しませんが、それは私個人の中での気持ちの扱いの話であって、名目は全く異なる以上、御社側がそれをもって対価を支払ったなどと言えるものではありません。
そもそも、知的財産権への使用料といいつつ、私が特許権を取得するために支払った諸費用を満たすものにすらなっておりません。

とはいえ、御社のambula mapの立ち上げ時に特別に協力したことについては、御社が一切誠意を見せなかったためこちら側が強引に違う名目で代金をいただくことによって、私の中の気持ちとして一旦納得をつけたつもりではありました。
ですが、御社はその後、2年にわたりMaplatを用いた事業を展開し、商用利用での利益を得ているにもかかわらず、オープンソースを利用するならば当然要求される貢献を一切返してこられませんでした。
オープンソースの利用には対価は義務ではありません。
が、先に提示した記事にも示されているとおり、「なぜオープンソースが無償で利用することが出来るのか。それは無数のボランティアやコミュニティに支えられているからだ。スポンサー企業がつく場合もある。そういう支援の上で始めて無償で使うことが出来る」ものであり、「公開のソフトウェアに対して、何ら公開の貢献アプローチを取らないことは恥ずべきことだ」というものが、オープンソースを利用する際のコンセンサスです。
実際に世の中にはただ乗りでオープンソースを利用しているような会社はいくらでもありますが、そういったものはもう世の中で認知されていて枯れている、既に大規模なコミュニティができていて少々フリーライダーがいたところで開発も滞らないような製品でこそ許されるものです。
Maplatのように、個人が余暇に持ち出しで開発しており、ろくに他の利用者も協力者もいないような製品で、最大の商用利用者である御社に、大きな顔をして当然のようにただ乗りされると、あっという間にモチベーションも枯渇して潰されてしまいます。
ましてや、先にも書いた通り、私が本当にやりたい事は開発そのものではなく、御社が今ambula mapの営業で行われている案件ごとの提案、企画こそがやりたいことだったわけですが、その私がやりたいことを、私が何年もの時間と何百万円もの費用を費やした成果を使って、それに何の成果も返さずにただ乗りしている御社が謳歌しているのを見ると、なぜこんな連中のために開発活動をやっているのだろうと、あらゆるモチベーションが失われて開発活動を止めたくなります。

なのでMaplatの開発を続けていくためにも、私は御社の今のただ乗り状態を絶対に許すことはできません。
しかし一方で、御社が過去の非道にちゃんと謝罪してくださり、改めて新しい関係を構築できる可能性はないかと考え、折を見て何度も御社に連絡させていただきました。
当然ながら、御社と私との関係で非があるのは一方的に御社ですので、こちらが下手に出るような表現の連絡は一切しておりませんが、当方としてはこちらからの連絡に対し、過去の非を認め何らかの謝罪の意と関係再構築の意思を伺えれば、関係を再考する可能性は十分にございました。
ところが、何度連絡しようとも、御社は連絡を黙殺するのみで、建設的に問題を解決しようとする意志はみられませんでした。
ことがこうなっては、当方としては既に、御社はまともに言葉が通じて交渉をできる相手ではないと判断いたしましたので、関係再構築ではなく、即刻御社によるMaplatの利用停止を要求いたします。

過去のバージョンで御社に特許権利用などを認めたライセンスはApache 2.0ライセンスですので、遡って法的に利用権を認めない状況にすることは通常では難しいです。
それゆえに、御社は安心して当方の糾弾を黙殺しておられるのかもしれませんが、残念ながら御社は完全に法的に守られているわけではありません。
ライセンスは飽くまで、Maplatの著作権者たる私及びCode for Historyと、御社との間の法的関係ですので、そこで利用権を認めている特許の権利者が、Maplatの著作権者と一致しなくなった時点で御社の特許利用権は、過去のライブラリ利用に遡って失われます。
つまり、これが先に書いた「骨を切らせて骨を断つ」手段ですが、御社がこの先も真摯な対応を行わないのであれば、こちらとしてはあらゆる不利益は甘受する覚悟で、他人にMaplatの特許権を引き渡す可能性があります。
その引き渡した第三者には、ライセンスによる縛りは発生しませんので、特許権侵害で御社と争うこともできます。
そのようなことになると当方にも多大な不利益が生じますので、そこまではできればしたくありませんが、御社が真摯な対応を行わないのであれば最悪そこまでのオプションがあり得ますので、ご認識いただければ幸いです。

最後になりますが、本内容証明の内容については、当方のブログで公開させていただきます。
以上、よろしくお願いいたします。

コギト社開発部長への内容証明

株式会社コギト塩野部長
Code for Historyの大塚と申します。
お世話になっております。

既にご存じだとは思いますが、御社が長期間オープンソースを利用されてきたにも関わらず、コミュニティ側に何らの貢献なしにただ乗りの状態を続けてこられたことを憂慮し、最新版以降のMaplatおよびその関連ライブラリについて、完全なオープンソースライブラリとしての公開を停止し、御社を名指しで利用を全面禁止する措置を実施させていただきました。
本件のプレスリリース:
http://bit.ly/maplat_license
実際のライセンス文言:
http://bit.ly/maplat_license_txt
当然のことながら、単に利用するだけではなく、ソースコードの閲覧、参考にするなども一切禁止させていただいております。
オープンソースへのただ乗りなど世に溢れている事例だと思われるかもしれませんが、そういったものはもう世の中で認知されていて枯れている、既に大規模なコミュニティができていて少々フリーライダーがいたところで開発も滞らないような製品でこそ許されるものです。
Maplatのように、個人が余暇で持ち出しで開発しており、ろくに他の利用者も協力者もいないような製品で、最大の商用利用者である御社に、大きな顔をして当然のようにただ乗りされると、あっという間にモチベーションも枯渇して潰されてしまいます。
また御社はその前の段階でも、Code for Historyと協力関係?にあった際に、一方的にこちらからの協力だけを搾取して、御社側から一切協力を返さなかった、という点での心象の悪さも影響して、今回の措置に至らせていただきました。

旧バージョンはApache 2.0ライセンスで公開しておりますので、私が特許権をライセンスに縛られない第三者に譲渡するなど相当の手段をとらない限りは、旧バージョンを使い続ける限りにおいて基本、御社にMaplatの利用差し止めを法的に強制することは困難です。
ですが、私がMaplatをオープンソースで公開していた理由は、私1人では限界のあるMaplatの開発を、誰でもそれから利益を得られるオープンソースにして公開することで、逆に広くMaplatへの協力を集めて開発力を向上させることを目的として公開していたものです。
御社のように、Maplatの利用で、商用の利益を得ておきながら(ここで利益と申しているのは、既に黒字になっているいないを指しているのはありません、当然ながら)、いっさいコミュニティに貢献を返さないような利用を許すためにオープンソースにしたのではありません。
御社が今のような利用をされているのは全く私の望むところではありませんし、むしろ御社がただ乗りで、私が資金と時間を費やして開発した成果で、本来私がやりたかったような事業をしているのを拝見すると、なんでこんな連中においしい思いをさせるために自分の資産を投入してきたのかとモチベーションは下がる一方で、ただちに利用を停止していただきたいと考えております。
オープンソースの理念から見ても、御社の利用は常軌を逸しております。
http://bit.ly/opensource_phil
法的には問えませんが道義的に、即座にMaplatを利用した商売を停止いただくことを、Maplatの全ての著作権特許権を持つ者の立場から要求させていただきます。
このことは御社社長に対しても、同様に内容証明で要求させていただいております。

また、御社と当方の関係がこの事態に陥ったことに対して、塩野部長の責任はきわめて大きいと当方は考えております。
当方の主張を完全に黙殺するなど、御社の事後の対応に多々不誠実な問題はあったとはいえ、最初のボタンのかけ違いはおそらく、御社がオープンソースの理念を勘違いして、ライセンス契約に含まれるかどうかなど関係なくオープンソースは利用する側にも相応の貢献を要求するものだと理解せず、単に道端に落ちているタダで使えるプログラム、タダで公開している理由も開発者の承認欲求程度のこと、と勘違いしたところから始まった程度のことではないかと思います。
ですが、臼井氏をはじめ技術者でない方々は最初にそのような勘違いをされることはある程度仕方ないところもありますが、塩野部長は技術に責任を持つ技術者です。
オープンソースの理念を知らなかったではすみません。
臼井氏をはじめとする方々が、間違った理解で間違った判断を下そうとしていた場合は、正しい理解でそれをいさめる立場が貴兄だったはずです。
もしご自分の責任を認識されるのであれば、今後は正しく判断いただければ幸いです。
当方の意をくんで、法的必要性はなくとも道義的にMaplatの継続使用停止を決断していただくか、あるいは最低限、この先ambula mapが動かなくなりMaplatライブラリの更新が必要になった際に、たとえ臼井氏あたりから「バレなければいいんだ、やれ」などと要求されても、ライセンス的に認められていない最新版Maplatの利用や、そのソースコードを覗き見ての剽窃行為などは拒んでいただける事を期待します、技術者としての良心があるのであれば。
技術者として、オープンソースの理念すら守れないのならば、最初からオープンソースなど使わずに自分で開発してください、ましてや特許権で守られている技術を使おうとするのならなおさら、自社で対抗特許を開発してそれで商売してください。
他者の提示している理念も守れないままに、他者の時間や資金の消費の成果の上におんぶにだっこで居座ろうとするな。

最後になりますが、本内容証明の内容については、当方のブログで公開させていただきます。
以上、よろしくお願いいたします。

コギト社法定代理人への内容証明

中島様

Maplatの著作権者であり知的財産所有者である大塚と申します。
以後よろしくお願いいたします。

行き違いになりましたが、当方からも受領日(2021年4月30日)の前日と当日の午前(本件受領前)、コギト社社長と技術部長に対し内容証明を送らせていただいております。
貴殿からの通達の受領前ですので、宛先が貴殿ではなく両職の方になっている点は了解いただけるものと存じます。
内容については煩雑になりますので両職の方にご確認ください。
本連絡では両内容証明の内容を把握しているものとして話をさせていただきます。

貴殿からの申し出ですが、「本件アプリが法的問題によりサービスの継続的な提供ができなくなるかのような主張」と書かれておりますが、

1) まず法的な点の話ですが、いずれのコギト社顧客への連絡に置きましても、当方は明確に現時点ではなく将来のことについて話しており、将来コギト社が継続的にサービスできなくなる危機に陥る蓋然性が高いことは明白ですので、当方は何ら虚偽だと言われるようなことは申しておりません。
将来の事ですので、その将来とは3年後のことかもしれませんし、明日の事かもしれません。
ただ一つ確実なのは、技術のわかる人間にとっては当たり前のことですが、「永遠にソースコードに変化を加えず動き続けるソフトウェア」など存在しないということです。
貴殿がその点に得心いただけない技術がわからない方でしたら、技術がわかる担当者に代わっていただけますでしょうか。
以後はこの部分には同意いただけるものとして続けますと、再確認しますが、「永遠にソースコードに変化を加えず動き続けるソフトウェア」など存在しません。
C言語ライブラリの根幹部分の枯れたライブラリなどであれば、その動かなくなるサイクルはほとんど気にしなくてよい10年以上などのサイクルでしょうが、頻繁に変わるモバイルOSの仕様変更やブラウザの仕様変更の影響を受けるJavaScriptのプログラムなどは、明日にも起きるかもしれない未知のOSアップデートで動かなくなる可能性は大いにあります。
そのような状況になった場合、当然オープンソースライセンスで提供している過去のライブラリから、ソースコードをアップデートしなければなりませんが、過去のやり取りの経験から当方の判断ではコギト社が誰の助けも借りずに、問題を解決できる可能性はきわめて低いという点です(これについては後ほど議論します)。
そうすると、私が提供している正規のMaplatに頼らざるを得なくなる可能性が高いですが、ライセンスの縛りでそれを利用する術はコギト社には開かれていません。
その意味で、いつかはわからない将来にコギト社がサービス継続できなくなる蓋然性は極めて高いですし、そしてその「将来」はいつ来るかわからない以上、3年後かもしれませんが明日かもしれません。
その次元での将来の極めて高い蓋然性を言及したのみであって、何ら虚偽にあたることは申しておりません。

もちろん、コギト社が自社で旧バージョンのソースコードを修正して問題を解決する可能性もゼロではありませんが、当方はコギト社社長、技術部長に送りました内容証明に詳細を論じております通り、こちらの主観では全く完全にコギト社側のみの責によって、同社を卑怯なことを行う主体とみなして、信頼を完全に失っております。
(この、コギト社が当方の信頼を損なうような行為の事実があったかどうかも、本やり取りでぜひ事実関係を争いたいところですので後述します)
コギト社が自社で解決したと主張されても、完全に信頼関係が破綻している現状では、ライセンスを変更したことで同社に対しては完全に禁止されている最新版の機能や実装などを参考にする行為で解決する疑いが全く捨てられません。
コギト社が将来にわたり不法行為を行うことなく自社で不具合の改善を行えると主張するのであれば、当方に対し何らかの証拠を随時提出(たとえば最も手っ取り早いのはソースコードの開示ですが、その他の手段であれ何らかの信頼の担保となるような)しなければ、当方としては当方の著作権特許権を侵害して問題を解決したと判断せざるを得ません。
また、正直に言いますと、実現している価値の高さは別といたしまして、お世辞にも私のソースコードは読みやすくも管理しやすくもありませんので、私のソースコードを途中から分岐して管理するようなことをするくらいならば、いさぎよくMaplatの利用を停止して、私の著作権特許権も侵害しない自分たちの技術を確立されることをお勧めします。
そうすれば当方よりガタガタ言われることもなくなりますので。

2) 次に、私はコギト社の顧客に対し、法的には将来的にサービスを継続できなくなる可能性を指摘したのみですが、確かに即座にサービス停止の話題についても言及しており、それについては明確に「道義的に即座の利用停止を要求する」と書いております。
つまり、即座に利用停止を要求するのは、コギト社の行った非道に対する道義的な要求であって、法的にコギト社が即座にサービスができなくなるとは一切言及しておりません。
当然ながら人の世は法的な判断だけで白黒つく問題ばかりではありませんから、当方はコギト社に道義的に非がある問題については、当然非難しますしその被害に応じて当方の著作物の即座の利用停止などの要求をコギト社に訴えると同時に、社会に対しコギト社の非道を訴えます。
コギト社としては、こちらが非道だと訴える事実関係に異議があるのであれば反論なさればいいですし、あるいは事実関係を認める認めない関係なく、将来はともかくただちに法的な問題さえなければ非道な行為をとっても問題ないと思われるのであれば、黙殺されればよいでしょう、貴殿から連絡が来るまでの間はこちらから何度異議申し立てをしても、1年以上ずっと黙殺してこられたように。
コギト社が問題ないと思えば黙殺する自由があるように、当方も問題だと思えば声を挙げる自由があります。
そこで当方が、明らかに事実と異なる事実関係を訴えたり、あるいはただちに法的問題がないにもかかわらず法的問題があるといったりというように、明確な虚偽の訴えをしたのであればともかく、あくまで道義的問題を訴えた限りにおいては、何ら貴殿から責められるような道理はないと当方は認識しております。

貴殿からの通信に対しての当方の見解は以上ですが、続いて中途で書きました、コギト社が当方の信頼を損なうような行為の事実があったかどうかについても話題にさせていただきます。
まず貴殿の理解を確認させていただきたいのですが、今回の場合問題になっているオープンソースの利用について貴殿はどのように考えておられるのかお聞きしたいです。
貴殿の専門である法的にはライセンスがすべてでしょうから、確かにApache 2.0ライセンスで公開していた以上、当方が特許を押さえていようと、後出しで特許権の行使を行うことはできません。
ですが、オープンソースにはオープンソースの世界の理念というものがございます。
http://bit.ly/opensource_phil
オープンソースを利用者による一方的な搾取にせず、皆の共有物としてともに育てていくためにも、利用者は道義的に利用によって得た利益に応じて、コミュニティに貢献を返す義務といっていいレベルのものがありますし、それを行わない利用主体は道義的に恥ずべきものとされています。
そのことについて貴殿の考え方を伺いたいです。
法的に問題がなければ何をやってもいいのでしょうか?
それとも、一般的にこの業界で通用している慣習としての義務は、ライセンスにないことであっても果たすべきこととお考えですか?

続いて、コギト社と当方の間に存在するいざこざの原因となった原因の事実認定について話題としたいと思います。
1. コギト社と私の間には過去の一時期、協力関係を結びましょうと言っていた時期がありましたが、その期間に当方は多数の協力をコギト社に対して行いました。当方としては当初引き受けたくないと意思表示した開発条件についても最終的に引き受けましたし、個人的に何年もの蓄積から得たノウハウに従って、無償で提供いたしました。単にこちらが勝手に提供しただけではなく、コギト社の方から主体的に、無償で援助してくれと要求されたこともあり、それに対して当方は応えました。このような当方からのコギト社への数多くの援助協力について、その存在を認めていただけますか?
2. それに対し、コギト社の方からは、協力関係でのギブ&テイクに相当する返礼としての当方への協力は、一切ありませんでした。この事実を認めていただけますか? Noの場合は、具体的に何を当方への協力として返していただいたか教えていただけますでしょうか。
3. また、その協力関係を結んでいた期間のみならず、その破綻した後の1年以上の期間も、コギト社はオープンソースの商用利用を継続して行い、利益を享受していたにもかかわらず、オープンソースの利益享受者ならば道義的に当然なすべきコミュニティへの貢献を怠ってきました。この事実を認めていただけますか? Noの場合は、具体的に何を貢献として返していただいたか教えていただけますでしょうか。

以上について回答いただきたいですが、当方の想定と異なる場合は議論に応じますが、もし当方の想定と同じ答えを返してこられる場合は、当方に「事実と異なる主張をするな」などと難癖をつける前に、コギト社としてまずなすべきことは何なのか、よい大人であれば判断できるのではないでしょうか。

さて、この先の落としどころですが、コギト社長への内容証明において、当方は「御社は完全に当方の信頼を失ったので、これ以上の議論の余地はないので、ただちにMaplatの利用停止をいただきたい」と言う旨の記載をしております。
が、これはコギト社側がこれまで、こちらが何度異議申し立てをしましても黙殺してきたため、何としても交渉の場に引っ張り出すために強いカードを切ったのみであり、今回どのような理由であれ貴殿が1年以上の沈黙を経てコギト社側から当方にコンタクトして参りましたので、もしこれを機に交渉の場を再度開き、過去の非をコギト社が当方に詫び今後について再交渉するのであれば、当方も普通に交渉の場につきます。
基本的に当方の主観として、法的にも道義的にも当方に一切の非はなく一方的にコギト社の側に非がある認識ですが、とはいえメールの文面が失礼であったとか、度重なる不信感が原因とは言え勘違いで激高してしまったこともあっただとか、その程度の非であれば当方にもあったことは認めることはやぶさかでありませんので、コギト社が今からでも誠意をもって対応いただけるのであれば、当方はいつでも関係改善する準備はできております。
どうされるかはコギト社様次第ですので、どうぞ賢明な選択をなさることを期待いたします。

最後になりますが、当方から貴殿への本返信内容については、当方のブログで公開させていただきます。
また、貴殿からの当方への連絡も、同様に公開させていただこうと思いますが、問題がありましたらご連絡ください。
5月いっぱい見解を待ちますが、その間に公開を断る意思表示をなされない限り、公開に同意いただいたものとさせていただきます。
また、今後の貴殿とのやり取りですが、そちらからは内容証明で送っていただいて結構ですが、当方、一個人ですのでいちいち内容証明郵便に高い費用を払っていられませんので、今回同様に当方の主張をこちらのブログに転載させていただき、そのブログの内容の魚拓をとることによって内容証明とさせていただきたく、通信そのものは普通郵便で送らせていただきたく存じますので、ご理解よろしくお願いいたします。

<ここギコ復刻> 街頭募金に意味がないとは思えない

私、10年くらい前にここギコというサイトを運営していて、位置情報技術や社会問題、政治などについて取り上げていました。
そちらはサーバ落としてしまったことなどもあって、消えたままにしてしまっていました。

ですが、今日、Twitter上でこんな投稿を見て。

で、私のそのここギコでの過去記事をInternet Archiveで引いたうえで、こういう反応を返したのですが、

やっぱり、10年以上前で私も雑い議論だったところもあるかもしれないとはいえ、一度論じたことが消えちゃうのはもったいないので、いくつかピックアップして今後再投稿していきます。

今回は件のTwitterで引いた、街頭募金に関する内容。
元記事の投稿日時は、2009年03月02日01:14です。


募金箱を置いて街に出よう -Danas je lep dan.-

何だって,募金箱を抱えて声を張り上げるのか。人の目を惹きつけるようなパフォーマンスでじゃらじゃら金を稼いでいるというならともかく,さっきから,誰も金を入れてないじゃないか。時間の無駄だ。どこかでバイトして,その金を寄附しろ。そっちの方が絶対コストパフォーマンスが良い。

正直、私もそう思ってた時期もあるんですけど、こういうのって効率だけの問題だけでもないような気もします。

確かに、一人の募金ボランティアが得る金だけを見れば、その人らがバイトした方が実入りはいいんでしょうけど。
でも、最大の問題は、そういう形で金を作っても、社会問題がその社会問題に取り組んでいる人達の間で閉じてしまって、なんら社会に共有されないことじゃないでしょうか。
その意味では、確かに一人の額としてはバイトの方がいいとしても、バイトで一人が稼げる額なんざ高がしれているわけで、社会問題を社会で共有することによって相乗的に効果が得られることを考えると、必ずしも街頭募金に意味がないとはいえないと思います。
そういう情宣的な意味合いも含めて、コストと効果を考えるべきではないかと。

実際に誰もお金を入れてないじゃないか、という話もあるとは思いますが、街頭で寄付を見かけて社会問題の存在を知っても、寄付を求められても忙しいからと通り過ぎることもあるし、(寂しいことに)虚偽の寄付を隠れ蓑にした資金集めをする怪しい詐欺団体も少なからず存在するわけなので、街頭では募金せず、戻ってネットで調べたりして裏を取ってから募金するようなケースもあります(実際、私は)。
また、元ブログ主は「レジ横の募金箱は許す」と書かれているけど、そのレジ横募金だって、普段ならいちいち気にも留めないけど、街頭での募金を見かけた後でなら「あいつらダメだよなあ、こういう形で効率的にやれよ」と思いつつ募金する、ということもあるのではないでしょうか。
バイトの金も寄付の金も同じなのと同様、別にどこで寄付しようが、或いは他団体に寄付してさえ、社会問題に対しお金が渡るという点では同じです(詐欺団体でない限り)。
必ずしも、その場で寄付がないからと言って、情宣効果がないとは言えないのでしょうし、単にその場で得た寄付金だけではなく、そういう情宣効果も含めて効果と考えると、街頭募金に意味がないとは思いにくいです。

とはいえ、実際全然社会問題が通行人に伝わっておらず、箱を持って突っ立っているだけという感じのダメダメな募金もあるわけですが、それはその個人であったり団体のスキルやマネジメントの問題であって、必ずしも街頭募金が否定されるものではないと思います。
もちろん、なんにでもマネジメントがないよりある方がよいとは思うので、単に募金箱を持たせて後は個人の技量任せとかより、何らかのイベントで注目を集めたり、広告打ったりして効率的に情宣することで募金額も最大化する、といった施策もあってもよいでしょう。
が、「あってもよい」というのと「ないのが悪い」というのはまた違う話で、別に、何でも最大効率化されていなければいけない、悪だ、ということはないのではないでしょうか。
むしろ、それこそ効果は最大化されていたとしても、寄付なのに情宣費にやたら金使ってたりしたら、それはそれで批判する奴が沸くんじゃないの?とか思ったりもしますし。

情宣目的なら情宣目的で、人を一人張り付かせておくような高コストな方法でなく、ネットとか、違う効率的な手法を取ればいいんじゃないの?という話もあると思います。
でも、実際問題、まだ今ですら、ネットは万能ではないし、リーチするのはほんの一部の人達です。
今一番金持っている初老以上の世代は、大半がまともにネットを使いこなせないと考えていいでしょう。
そういう層にリーチできるのは、今でもやはり旧来どおりのアプローチです。
ネットを使える層に対してすら、基本今のネット利用は検索がベースになっている以上、そもそも関心を持っていない不特定多数を巻き込んで、社会問題に気づかせると言う形でのリーチはできないと考えていいと思います。
また、ネットは人や実際のものが介在しないと言うのも大きいです。
私自身、阪神大震災の時に募金のために街頭に立った経験(募金じゃなかったっけ?単にビラ撒きだったかも)もあるけれど、いろいろ問題を訴えていると、中高年のおっちゃんおばちゃんなんかはいろいろ話しかけてきて、生の情報を得ようとコミュニケーションしてきます。
興味を持ってもらったその場で、生で情報を相手の望む形で交換できるのは大きいです。
ネット上で一方通行の情報を配信するのは、多くに単一の情報を伝えるのには向いているけど、こういうのには向いてません。
うちの息子なんかには、街角で募金しているのを見かけたりすると、それをきっかけにその社会問題を息子に説明して、息子に納得させておやつやおもちゃのお釣りなんかを寄付させたりさせることもあるけれど、こういうのも実際の自分のお金を自分のその手で募金させ、募金の人からお礼を言ってもらったりするからこそ社会勉強になるのであって、実際に同じお金が動いたとしても、ネット上のクリックでは何も学べないと思います。

それと、最初に立ち戻りますが、寄付に立つ代わりにバイト等の労働で得るお金を社会問題に、という話は、別の問題もあるように思います。
寄付は、(たとえそれがどれほど崇高な目的であろうとも)通常に社会が回っている中で、個々人が善意で生じる余剰金を提供するからこそ意味があるのであって、いかにお金が必要だからと言って、通常の社会生活のサイクルの中に食い込んでくるのが健全だとは思えません。
「社会問題解決に必要なお金を得るために、労働する」といったところで、企業がそれを聞いて「ほう、それは感心、特別な働き口を作ってあげよう」と言ってくれるわけではなし、労働市場に供給される「働き口」は同じである以上、「社会問題解決に必要なお金を得るために、労働する」ことを誰かがした場合は、それは本当に生きていくために労働が必要な人の働き口を、その分奪ってしまうことになると思うのです。
なので、「寄付に立つ代わりに労働してお金を得る」的な考え方は、一面では危険なのではないでしょうか。

上記のようないろいろな視点から、私は街頭募金に意味がないとは、必ずしも思えません。

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