Code for History

"Code for History"はIT技術を歴史学上の問題の解決に使うコミュニティです。強調したいのは、我々にとってIT技術は「手段」であって「目的」ではありません。「目的」は歴史学上の問題を解決する事であって、必要であればITでない手段も活用します。常に最優先なのは、問題を解決することです。

私が語らないと歴史に残らない「位置ゲー事件簿」その4: 2007年ケータイ国盗り合戦初達成者のハカセさん - 詐欺師と疑われたところからの栄光 -

私は2005年に一度、位置情報ゲームの運営から離れました。
資金が尽きて清算まで秒読みになったベンチャー企業から離れ、より大きな会社で位置情報技術の実績を積むために再度転職したことがきっかけです。
転職先ではスパイ衛星の地上システム開発にかかわったのですが、200人規模の開発プロジェクトだったためその中で位置情報にかかわる数人は精鋭ぞろいで、ぽっと出の素人位置情報技術者などはその中に加われるわけもなく、結果的に実績は詰めずその他の業務を担当することになりました。
転職先の業務が一時あまりにも忙しくなり、余暇で位置情報ゲームのアンテナ奪取を運営するのが難しくなったため、私は同サイトのソースコードやデータその他を全てモバイルファクトリー社の木村岳文氏に受け渡し、運営を引き継ぎました*1。その後木村氏とモバイルファクトリー社がこの方面を育ててくださったお陰で、今も続く位置情報ゲームの駅奪取ステーションメモリーなどの系譜に繋がっています。

次の転機は2年後の2007年に訪れます。本業では位置情報技術から離れながらも、余暇では相変わらず自己流位置情報技術を開発し続けていて、業界で知る人ぞ知る「なんか変な事やってる奴」の地位を固めていた私は、あちこちで繋がった「変な」人脈を別の人に紹介してシナジーを起こす「変な人脈」ハブの役割を担っていました。
その一環である日、友人の位置情報事業起業家をマピオン*2に紹介するために、その友人と2人でマピオン社を訪問しました。
その際にマピオン社の中を見学させていただいて、若い人も多く風通しもよさそうと感じ、友達を紹介するはずが私の方がマピオン社に強い興味を持ちました。
当時いたスパイ衛星案件の大会社で、将来に不安は少ないけど位置情報には関われない仕事を続けるよりも、こちらで仕事をしてみたくないか?と思うようになり、またもや3度目の転職をすることとなったのです。

その頃のマピオン社は、第1回の記事で紹介した個人サイトから立ち上がった位置情報ゲームの系譜とは別に、2005年頃から独自に位置情報ゲームサービスを立ち上げていました。
JR東日本企画社と組んだ夏休み期間だけの限定企画として、NTTドコモの仕様である全国を505エリアに分けたiエリア仕様*3を組み合わせて全国300エリアに再編し、全国統一をユーザに目指させるスタンプラリーゲームを展開していたのです。
初年度の2005年度には「お宝探検隊」というクリエイティブを使い、2年目の2006年度にはいよいよ現在にもつながる天下統一クリエイティブを採用した「ケータイ国盗り合戦」を実施していました。

私はマピオン社への入社後、モバイルサイトの部署に配属されました。
最初の数ヶ月ほどはモバイルサイトのSEO*4を担当した後、夏からいよいよ、マピオン社の位置情報ゲーム企画としては3回目、国盗りとしては2回目となる2007年度夏休み版のケータイ国盗り合戦の企画開発に参加しました。
この企画参加については、当時私は手放したとはいえ元アンテナ奪取運営者として、位置情報詐称対策技術などで知る人ぞ知る存在でしたし、そもそも前年度までのケータイ国盗り合戦も私が開発者でオープンソース化していた経緯度からドコモのiエリアに変換するプログラム*5などを利用して実現されていましたので、技術力を買われて担当することになったのかと思っていたのですが、特にそういうわけでもなくたまたま偶然割り当てることになったそうです。
ともあれ、この担当により2年ぶりに、かつ今回は個人活動ではなく商用サービスとして、私は位置情報ゲームの運営に返り咲くことになりました。

2007年度のケータイ国盗り合戦については、基本的に2006年度のシステムがあるため開発期間もたいしてかからず準備できましたが、追加要素としてアバターと称号システムなどを導入しました。
アバターは自由な着替えこそできませんでしたが、ユーザの住んでいる地域別にかわいいイラストで描かれた織田信長武田信玄伊達政宗などのアバターが配布されて、ユーザはそれらの武将になりきることができ、ゲームの進行度合いに従って征夷大将軍などの称号と共に鎧や籠手、兜などのアバターパーツが入手できて、より各大名に近い見た目に育てることができるという要素でした。
翌年2008年からの通年ケータイ国盗り合戦でも導入されたアバター機能や称号機能ですが、限定的とはいえその走りは期間限定サービスだった2007年度版から導入されていたのです。
その他にも、アバター実装した武将はいわゆる日本の戦国武将だけではなく、北海道は蝦夷地としてアイヌ首長のハシタイン、沖縄は琉球王の尚寧を採用するなど、戦国をモチーフとしながらも、その後広がった日本の領域をもれなく組み込めるような世界観の走りも2007年度に導入されました。

結局は導入されませんでしたが面白い設定として、ユーザのアバターによって、じぃのキャラクターが変わるというものも検討されていました。
じぃとはケータイ国盗り合戦の世界観で、殿であるユーザとゲーム世界を繋ぐ狂言回し役を担うキャラクターで、毎日ログインするたびに異なる一言を話すという、大量のコンテンツを用意しなくてはならない運営泣かせのキャラクターです。
このじぃを、ユーザのアバター伊達政宗ならば片倉小十郎武田信玄ならば山本勘助などのように、ユーザの選択に合わせて変更して、しゃべり方も方言で話させようという案も挙がっていて、というか挙げたのは私なのですが、さすがにそれはマニアックすぎるという事で却下されました。
当時は残念に思っていましたが、今思えば却下されてよかったと思います。

さらに導入されなかった要素として、本記事の主題に繋がるのですが、位置情報の詐称を防ぐ技術的な仕組みも、当初は導入されませんでした*6
私は位置情報ゲームを数年運営していたため、位置情報詐称対策をしなければユーザは悪戯を仕掛けてくることを痛いほどわかっていたので、当初から位置情報詐称対策技術を導入すべきだと伝えましたが、いまいち問題の深刻さが分かっていなかった当時の上司は、そんなの導入しなくていいんじゃないの?と判断して導入は見送られたのでした。
私もその時は、まあもう2年も運営してきてるのだし問題になっていないのならばいいか、個人サイトのユーザより商用サイトのユーザは行儀がいいのかもくらいの気持ちで、強く導入を主張しませんでした。
そのことで大騒ぎになるとも思わないままに。

そしていよいよ2007年7月17日、2007年度版ケータイ国盗り合戦が開幕しました。
ケータイ国盗り合戦クリエイティブとしては2度目の開催で、共同運営となるJR東日本企画による山手線内での中釣り広告なども展開され、順調に参加ユーザは増えていきました。
運営にとって嬉しい誤算は、昨年度がよほど評判が良かったのか、昨年度の経験など全く参考にならないほどにすごい勢いで全国を制覇していくユーザが現れた事でした。
2006年と2007年双方に参加いただいた参加者様のブログでも「ちょっと!今年はみんなペース速いよ~~~(汗)去年はたった32国でも1000位以内にランクインできてたのに。」と悲鳴が記録されています。

そして2007年8月28日、ゲーム開始からたったの40日で、ついに「ハカセ」さんが2007年度版最初の天下統一者として名乗りを挙げました
しかしこの300国制覇が成立する直前、運営の中では「これはあまりにも早すぎる。URL中の経緯度を書き換えて詐称したことによる詐欺攻略ではないか?」との疑いが出て、数時間に及ぶ侃々諤々の議論になっていたのです。
疑われた理由は、何よりも早すぎること、そして、エリア攻略の順番が不自然だったことでした。
正確にどんな順番で取っていたかはさすがに記録は残っていませんが、ある日の中国地方付近の制覇記録はイメージ的にはこんな感じです。
『明石/東播磨 => 淡路島 => 姫路/西播磨 => 備前/瀬戸内 => 岡山/玉野/赤磐 => 高粱/新見 => 倉敷/総社/笠岡...』基本的には山陽道を西に向かっているのですが、時々山奥や海の向こうを制覇しつつ、全体を1時間かそこらで制覇していたのです。
こんなあっちに飛んだりこっちに飛んだりしながら、数十分で移動できるわけないだろう、これは絶対詐称だろ?ということで9割9分、詐欺だと判断する方向に傾いていました。

しかし、風向きが変わったのが「これ、たまに対岸取りが混ざっているだけの新幹線移動じゃないの?」という意見が出た事でした。
対岸取りとは、高い山や海の向こうなどの遠い携帯電話基地局からの電波を掴んだケータイが、その遠い基地局の場所を現在地として返すことにより、行ってもいないのに思ってもみない遠くのエリアを攻略できてしまう事を言います。
どんな場所でも起こるのですが、海の表面で電波が反射することで、海の向こうの島などが取れることがよくあったので、対岸取りという呼び名が定着しました*7
偶然の産物である対岸取りが成立しつつ新幹線で移動すれば、確かにこんな取り方もできるかも、と運営メンバー皆がその意見を聞いて考えるようになりました。
何より、限りなく黒に近いグレーなら黒と判定するのも仕方ないところでしたが、黒か白か五分五分?というくらいにまでなったのであれば、白で冤罪であった場合にそこまでゲームにのめり込んでくれた方を犯人扱いするとあまりにも可哀想だし悪評の原因にもなるので、白と判定し受け入れることにしました。
かくして、2007年度版ケータイ国盗り初の全国制覇者、ハカセさんはその栄光を手にすることになったのです。

ハカセさんは数時間の会議の結果、受け入れることに決定しましたが、まさか制覇者が出るたびに、数時間この制覇者は正当クリア者か詐称者か?などと会議するわけにもいきません。
上司もようやく詐称対策の必要性を理解して、すぐに詐称対策技術の導入をするよう指示があり、私は数日かけて位置詐称ができない仕組みを2007年度版ケータイ国盗り合戦のプログラムに組み込みました。
さらに、翌2008年からの通年版ケータイ国盗り合戦*8では、もっと根本的なプラットフォームそのものに詐称できなくする仕組みを組み込んだ開発を行いました。
これにより、それ以降の2007年度版と通年サービスの国盗り合戦では、制覇者が出るたびに何時間もかけた真偽判定の会議などをする必要はなくなり、基本的にはユーザを信用できるようになりました。

今となっては、ハカセさんが本当に正しい制覇者だったのか、それともやっぱり実は悪い手段を使ってダマし制覇した人なのかはわかりません。
それだけでなく、ハカセさん事件がきっかけで位置詐称対策が導入される以前の他のユーザの全ての位置取得も、正しい結果なのか悪意ある結果なのかもわかりません。
結局、こういう悪い事をさせないための対策って、導入する時に「大事なお客さんを疑うのか」的な話になることはあるあるだと思いますが、そういう問題ではなくて、いざ何か疑わざるを得ないような問題が起きた際に、「いや、これだけの対策をしているのだから、基本的にはユーザを信用してもいいんだ」と、いらぬ疑いを向けずにユーザを信じ続けられる状況を作るためにこそ導入するんですよね。
そのことをよく理解できた事件でした。

*1:今であれば個人情報保護などで、データ受け渡しにはユーザ全員の同意を得る必要があるとかややこしいのでしょうが、当時はそのような縛りもなかったのでおおらかなものでした。

*2:一番有名であろう社名を使いましたが、正確には入社当時の社名はサイバーマップジャパン社で、現在の社名はワンコンパス社になります。

*3:当時のガラケーでは、KDDISoftbankPHSWillcomはじめ、ケータイ向けWebサイトから経緯度を取得できる仕組みがあったのですが、DoCoMoだけ、位置情報サイト黎明期と言える2001年頃から2007年12月までの間、経緯度を取得する仕組みがなく、DoCoMoが勝手に決めた全国505エリアのどこにいるかを取得する形での位置情報しか得ることができませんでした。これはとても恣意的な分け方をされたエリアで、金沢は町の中の繁華街にいるか観光地にいるかとかまで判定できるのに、広島は周辺の市町村まで巻き込んで広島県西方にいるといったレベルでしか位置が取得できないなど、とても使いにくいものでしたが、一番ユーザのいるDoCoMoがそれを採用しているのでサービス企画者はそれに従うほかなく、スタンプラリーゲームなども505エリアをベースにしたものしか設計できませんでした。

*4:検索サイトの上位に表示されるための施策のこと。このSEO対策でもチームで結果を出して社長賞をいただき、賞金で生まれて初めて、人形町今半というような高級肉店ですき焼きをいただきました。口の中でとろける肉なんて初めて食べましたね。

*5:DoCoMoは505エリアでしか位置を返さないのでそれを元にゲームを設計するしかなかったのですが、KDDIなど他のキャリアでは経緯度を返すので、DoCoMoのエリア仕様に従って各エリアに振り分ける必要がありました。その変換するプログラムを当時の私はオープンソース(一定の条件に従えば誰でも無償で使えるプログラム)で公開しており、マピオン社のケータイ国盗り合戦でも、私の入社前からこのプログラムが使われていました。

*6:この位置情報詐称を防ぐ技術について、もう少し詳しく説明しておく必要があります。この時代のケータイWebで位置情報を取得する方法は、WebサイトのURLに対して、http://example.com/?lng=XXX.XX.XX&lat=XX.XX.XXといった形で経緯度が通知される仕様となっていました。ですが当然ながら、ブラウザのURLはユーザが自由に書き換え可能ですから、何も対策を打たなければユーザがこの経緯度を書き換えて、誰でも家の部屋から一歩も出ずに日本全国を攻略可能、ということになってしまいます。これを防ぐために、位置情報を取得するページのURLには常に毎回変わる有効期限付き、1回だけ有効で最新だけ有効の秘密文字列を埋め込み、そのURLに対して経緯度が伝えられると、ただちにその経緯度と秘密文字列をセットで検証用暗号化してURLに送り直し、ユーザが偽装不可能にする技術が開発されました。このようなノウハウは、私を含めその他の個人開発位置情報サイトの運営者はそれぞれ独自に開発していましたが、逆にマピオン社はじめ商用に開発したサービスはほとんどその辺に注意を払っていなかったため、私が合流するまでその必要性にすら気付いていないという状況だったのでした。

*7:常時GPSがまともに機能する現在のスマホではほとんど起きませんが、初期のケータイの場合、GPSがうまく機能せずに、代わりに電波を受信している基地局の位置を経緯度として返す事がよくありました。また、GPSで位置が確定するまでに数10秒と長い時間がかかっていたりもしたので、GPSが機能していても好んで基地局の位置を使う人もいたり、そもそも古い機種ではGPSがついていなくて基地局の位置しか取れないケータイもありました。それゆえに、現地に行っていなくてもエリアが取れてしまう対岸取りは、技術的に判別しようがないので容認されていただけではなく、もっと積極的に位置情報ゲームの面白い要素として受け入れられていたりもしました。

*8:2008年から始まった通年版ケータイ国盗り合戦も、今は運営社が変わり株式会社マイネットの運営になっています。

「大字史」活動的なもの、「ウィキペディアタウン」的なものは地域史を守る車輪の両輪であることについて

かつてよく一緒に活動していた、ウィキペディアタウンの活動をしている人たちの集まるclubhouseをたまに垂れ流して聞いています。

note.com

ウィキペディアタウンとは何ぞや、という点についてはこちらを見てみてください。

www.sankei.com

一方で私は、今は群馬県立女子大学の簗瀬先生が提唱される「大字史」掘り起しの活動や、それに近い活動をされている他地域の活動などに関わっているか近いところにいます。
群馬県玉村町の「大字角淵誌」の活動:

www.jomo-news.co.jp

奈良京終の地域歴史誌「奈良町の南玄関」執筆活動:

mainichi.jp

これ、どちらも地域の人たちを巻き込んだ街の歴史を掘り起こしての記録活動で、似てるように見えて違う活動なんですよね。
大字史的活動は、よくあるビジネスの「0から1を作る」「1を10にする」「10を維持し続ける」活動の喩えでいうならば、いわば0から1を作る活動。
0といっても当然元になる地域一次史料、区有文化財、現地に暮らす人たちの口伝、他いろいろあるわけですが、基本的にはまだ図書館に所蔵されていない、未知の情報を紐解いて集約し、『図書館に新たな知識として収めるものを作る』活動だと私は捉えています。

それに対し、ウィキペディアタウンの方は、「1を10にする活動」の方だと思います。
もう既に図書館に情報としてあるんだけど、埋もれてしまって広く知られていない情報。
それを掘り起こして、より多くの人に気付かれやすい場所に再構築する(1を10にする)活動。
それはとても大切な活動ですが、しかし典拠がなければ書いてはいけないWikipediaというメディアの性質からも、それは絶対に「0から1を生む」ことはないと思います(それが問題だというのではなく)。
0を10にするには、必ずまず大字史のような活動で0から1を掘り起し、成果を出版したり図書館などに収めてから、それをウィキペディアタウンのような活動が再発見し、1から10にしなければなりません。
つまり、地域史掘り起しの視点からは、両者は車輪の両輪なのです。

両者の活動が同じ場所で起こって、一気通貫に機能すれば、ものすごく地域研究とその周知活用が進むと思うのですが、残念ながら今のところそんな感じの活動は起こる気配はありません。
どちらも地域の歴史掘り起しに興味のある地域住民のマンパワーを借りて行う活動になっていますが、おそらくどちらの活動も力を貸していただける地域住民の層や、活動にあたっての意識にそれほど大きな違いはなく、先にアプローチしたのが「大字史的活動グループ」か、「ウィキペディア的活動グループ」かの違いだけで、多分参加している方々は「私の活動は大字史的だ」「我々はウィキペディアタウンだ」という意識はなく、ともに「地域史の掘り起しに携わってる」と思っていると思います。
が、ここで、両者の活動の間に交流がないことに大きな問題が生じるのではないか、ということを危惧しています。
両者の活動に参加する人々の層に大きな差がないとすると、別々の活動として地域にアプローチすると、先にアプローチした活動の方に人的リソースが集中してしまい、もう一方の活動が入り込みにくくなるのではないかという問題です。
それぞれが別の活動として、「大字史活動」「ウィキペディアタウン活動」として認知された上で、「うちは片方しかやってないんだよね、これからは両方やりますか!」と受け入れられればいいんですが、どちらも「地域史掘り下げ活動」の別方法論として認知されてしまうと、だいたい人は自分たちの活動の方法論にすぐ凝り固まりがちですから、「うちにはうちのやり方があります、ノーサンキュー」ということになってしまわないかということを危惧しています。

その結果、ウィキペディアタウンが流行っているところではこれまでに明らかになっていた歴史については全部掘り起こされてみんなに知られるようになったけど、新しい発見を生むような未知未調査の史料については調査が進まないまま史料の風化紛失と共に明らかにできたはずの歴史が消え去っていく...、
大字史が流行っているところでは地域の区有文書などまでみんな調査されて新たな発見、知見が溜まっていくんだけど、それらは図書館の中にしまわれるだけで、世の中に広く知られるようになるには同じ地域で50年後にウィキペディアタウンが流行りだして以降、その頃には大字史に取り組んだ人たちももう存命でなく...、
というようなことが起こってしまいそうな気がしてなりません。
両者を進めようとしている人たちが手を取り合って、情報交換して、それぞれが相互補完して0から10まで一気に駆け抜けるような活動が生まれればいいのに、と思うのは私だけでしょうか。

だったら、それに気付いたんならお前がその活動をすればいいじゃん、と私に求めるのは酷なので、求めないでくれると嬉しい...。
まず、私はCode for Historyという事実上たった一人の活動をやってて、Maplatという世界唯一のソリューションの開発もほぼたった一人でやっているので、私が動かないと何も進まないそれらの活動をほっぽっておいて、新しい活動のリードを採ることなどできません。
第2に、そもそもCode for History活動を一人でやっていることとも繋がるのですが、私は精神的外傷、トラウマレベルで、「私が呼びかけた活動には、対価などを発生させない限り誰も賛同してくれず動いてくれない」というジンクスを抱えている人間なので、新しく誰も動いてくれそうもない活動のリードを抱え込むことなど、確実に精神を病むのでできません。
ですので、「てめえが動けよ」と言われる限りは「私は絶対に動きません」なのでこの問題提起は「以上、終わり、解散!」なのですが、もし拾ってくれる人がいるならば、双方の活動をしている方々のコミュニティの引き合わせ役など担当しますし、また代わりにリードしてくれる人の元では私の避ける範囲で協力したいと思っています。

また、別の話題なのですが、ビジネスでの「0から1を作る」「1を10にする」「10を維持し続ける」の喩えを使ったので、その中でまだ言及していない「10を維持し続ける」部分についても、論じたいと思います。
大字史で「1を作りました」でも、ウィキペディアタウンで「10まで育てました」でも、それを維持する活動も組み込まなければ、それはいずれ0に戻ります。
たとえばこちらの活動も、

https://code4history.dev/TatebayashiStones/

館林市の50年前に有志により実施された石造物所在調査は、50年の間に酸性雨などで今は読み取れなくなっているような刻銘も50年前に判読した成果なども記されていて非常に有用なのですが、正確な位置も写真もほぼないままに行われた成果なので、調査対象の現在の状況と紐づけられない状況になりかけていました。
それを正確に現在の状況と紐づけようと個人で始めた活動が上記活動なのですが、今はぐんま史料ネット()の助けを得て、なんとかこの50年後の再調査を多分あと数年あれば目途つけられそう、という状況にできました。
まさに、一度とても有用な成果を残したからと言って、メンテナンスしないと無に帰する典型ではないかと思うのですが、このように継続的なメンテナンスを行えるようにするための必要条件として、私は以下の2つが挙げられるのではないかと思っています。

  1. オープンデータにすること - 著作権のあるデータだと、後進が現況に更新しようと思っても、まず著作権処理からしなければならない、ということになります。オープンデータであれば、誰でも志ある人が更新を引き継げます。
  2. オープンなデータ形式であること - オープンでないデータ形式だと、たとえそれがMicrosoft Officeほど普及したデータ形式であっても、いずれはデータとして使えなくなります。いつまでも使い続けられるデータであるためには、オープンなデータ形式で記録される必要があります。
  3. 技術に精通していない人でも更新できる手順であること - これ、2.と時には衝突するのですが、オープンなデータ形式にこだわるあまり、技術的にとんがったギークしか更新できないよ、みたいな手順しかないと、ほぼそのデータセットは死ぬと思ってます。本当に人によるとしかいいようがなく、絶対そうとは言い切れないところもありますが、総じて技術にとんがった連中のこういう活動に対する問題意識ってかなり「底が浅い」ので、技術に長けた人しか更新できないデータセットにするとまず間違いなくダメになるので、相当に簡単な手順を構築する必要があると考えています。なので場合によっては、時代が変わればなくなりそうなGoogle Docsだとか、そういったプロプライエタリな仕組みも活用しつつ、永遠に残すためのオープンデータ形式化は相互変換などでカバーしつつ、臨機応変にやらないといけないと思ってます。

こういった、成果を永遠化するための手順まで考えに入れつつ、0を1、1を10、10を永遠にするまでの活動を一気通貫で面倒みられるような地域史掘り起し活動が必要じゃないかと思っています。

論点はIOCに違約金を払うなではなく、IOCに払ってもいいから俺たちにも休業補償金を払え、ではないか

今日の新聞記事に、オリンピックの規模を小さくしようとしたらIOCから違約金を要求されたというものがありました。

www.asahi.com

これ、別にIOCの肩を持つわけではなく、私もIOCに反感しかないですしさっさと五輪は止めて欲しいですし、IOCの要求自体は規模がぼったくりだと思いますが、ただその辺を一旦置いた上での一般論では、IOCも一応経済主体であってオリンピック開催のために投資をしてきたわけですから、ましてや自由経済圏であるならば私的経済活動を妨げられるいわれはないでしょうし、その私権を制限するならば適切な対価を払うことで権利を行使させないのが道理です(罰則などではなく!)。
これがまだ去年の中止だったならば、日本政府の責任もないでしょうから、不可抗力として違約金など払えないと強弁することもできたでしょうが、昨年感染が広がって1年延期したのですから、当然その1年で感染が広がらない対策がなされることをIOCが期待するのは当たり前ですし、そしてその責任が日本政府にはありました。
その責任を日本政府が全うせず、検査隔離体制の徹底など諸外国で効果が出た施策も採用せず、covid対策初手の失態を隠蔽するためか初手の対策を堅持、その結果感染がいまだに収まらないどころか去年よりひどくさらに広がる一方、ワクチン接種も進まず、それが原因で「オリンピック止めろ!」という声が強くなっているわけですから、IOCから見れば明らかに日本政府の失態ですし、それで止めろ、規模を変えろと言われたら代償払えよ、違約金払えよというのも一般論では全然おかしな話ではありません*1*2

でも日本では、IOCが違約金を要求するのは問題外、ふざけるな、という空気が強いです。
これはなぜでしょう?
分かると思いますが、日本では、(飽くまで自粛という体をとって政府が強制してない体を装いつつも)そういった私権を制限されて何度も緊急事態制限、蔓延防止措置で経済活動に制限を受けてきたにもかかわらず、政府はまともに保証せず、それどころか従わなければ罰則という方向性で私権制限に従わせようとしたからです。
これを不可避の前提として受け入れるならば、国民には経済活動制限を強制してほとんど保証していないにもかかわらず、IOCには中止するなら違約金とは何事か、という怒りが出てくるのは当然と思います。
しかし、権力の元で最終的には唯々諾々と強制を受け入れさせることのできる国民と違い、IOCにつべこべ言わず無償で中止を受け入れろ、と強制する力は日本政府にはないし、IOCにそれを受け入れる義理はありません。
政府は自身支持率を挙げるためにオリンピックを敢行したいことはさておき、仮に止めるにしても、IOCへの違約金の支払いは免れないことはわかってるし、しかし違約金を払えば国民の怒りが爆発することもわかってるので、オリンピック中止など言い出すこともできません。
完全に二律背反状態です。
なので、逆にIOCを悪者にして、IOCががめつくて違約金を取り下げないのでオリンピックは中止にできません、日本政府が悪いんじゃありません、というストーリーの中に押し込めようとしているのが今の政府の目論見なんじゃないかと思います。
IOCは開催さえできて投資を回収できれば、日本国民から恨みの対象にされようと別に日本の政体じゃないのだから知ったこっちゃないし、日本政府にとっては守銭奴IOCというイメージをなすりつけて政府への批判をいくらかでも削ぐことができれば、Win-Winの関係ですね、政府とIOCの間では。
愚弄されるのは日本国民ばかりなり、という状況です。

でも、ここでよく考えてみてください。
結局、ここで一番悪いのって、何をどうひっくり返しても日本政府が元凶ですよね?
繰り返すようにぼったくり体質を一旦横に置けば、1年間の延期で猶予を与えて日本政府にcovid対策の徹底、沈静化を期待したにもかかわらず、ほぼ無策に近い状態で沈静化するどころか去年よりひどい状況にされた結果、オリンピック止めろの大合唱な事態、それだけとればIOCも日本政府の被害者です。
それならば違約金払ってでもオリンピック止めようかと思っても、違約金払うなんてことになれば国民の不満が爆発しかねない状況にしたのも、日本政府が国民の私権制限についてはまともに保証してこなかったのが大きな原因。
そう考えると、これをちゃんと二律背反しない正道に戻そうとするには、「日本国民は保証もされなかったんだから、IOCは違約金をとるな!でもオリンピックはやめろ!」と主張するのではなく、「違約金を払ってもいいから、オリンピックはやめろ!でも当然、IOCと同様に日本国民に対しても営業制限の補償金を払え!これまでの分も含め熨斗つけて!」と主張するべきではないのだろうか、というのが最近の私の感覚です。

そして、次の選挙ではちゃんと投票行動を行う...までがオリンピックだからね!みんな最後まで気を抜かないで。

*1:繰り返しますが、一般論として代償を要求するのはおかしな話ではないというだけで、その額や対象が妥当だとかいうつもりはありません。私もIOC嫌いですし

*2:covid-19の感染拡大の制御などできないのだから、日本政府の責任など問えないという人もいるかと思いますが、日本と同様アジア大洋州のファクターXに守られた国の中でも、豪新台韓越中など、日本よりはるかにうまくcovid-19をハンドリングしている国はいくらでもあります。そういうまともなcovid対策のとれる国で、たとえ感染状況がマシでも世界がこの状況でオリンピックをやろうというような愚かな判断がされるかどうかはわかりませんが、もしする判断になったとしても、そういった国の感染状況であればまだ批判も少なかっただろうし、またしない判断をする場合でも、これからこの記事で述べる二律背反には陥らなかったのではないでしょうか

Strolyの水戸案件『歴史講談 水戸漫遊』の何が「技術者倫理にもとる」ほど問題なのか

先日、Strolyのid:maechabinさんとTwitter上で少しやりあいまして、

たびたび話題に挙げている彼らの水戸案件の問題に言及したのですが、
彼との過去のやり取りではたびたび言及しているので、水戸案件の何が問題かはさすがに彼は理解していると思うのですが、採り上げて論じたことはなかったのと、万一彼も理解していない可能性を考えて、採り上げて論じることとします。

ちなみにStrolyの水戸案件とは、これのことですね。 m.stroly.com

顧客の利益のためならば、自分の製品ではなく汎用手法を薦めることも技術者の倫理だと私は信じる

具体的に彼らの案件の問題を論じる前に、逆に私の元に別の案件が来たとき、私がどのように応じたかを例に挙げてみましょう。
つい最近、某ミュージアムの展示品案件で、私の元にMaplatを使ったシステムにできないか、と友達経由で相談が来たのですが、

友人:
詳細は分かりませんがベクターデータもあるそうなのですが、ベクターとなるとMaplatでは扱えないでしょうか?
こちずふぁん:
ベクターの意味がわかりませんが、もし線を描く意味だと、Maplatは地図上に線を引けますので対応できます。線のアニメーション機能はなく描きっぱなしですが、フル制御をコーディングする必要がありますが、高速で消して描いてをくりかえせば、アニメしてるように見せることもできると思います。
そうではなくベクタ地図ならば、MaplatはMapboxのベクタ地図レイヤを作ることもできるので、スタイルを差し替えれば対応できると思います、私はやったことありませんが。
ただ、Maplatはどこにでも適用するツールではないので、もしMaplatででもできるけど他のツールででもできる案件なら、自由度は圧倒的に他のツールの方が高いでしょうから、他のツールでやるべきです。
Maplatに向いている案件は、不正確な地図を補正などかけずに利用したいユースケースがある案件です。
それも、正確な座標の1対1対応や、線と線の正確な対応、地図同士の自由な切り替え、正確な地図との相互運用、オフラインやイントラネットでの利用といった特殊な要件が絡まない、ゆるふわな位置合わせユースケースでよければStrolyでもできるので、そういった特殊なユースケースがあり、かつ不正確な地図を利用するユースケースであれば、Maplat以外の選択肢はないと思います。
が、不正確な地図を含まない、正確な地図だけで完結できるユースケースなら、既存のGISツール使う方が自由度も高いのでそうすべきだと思いますよ。
その辺も含め、正確な要件もらえれば何を使うべきか含めコンサルできます。

このように回答し、そして実際に私がコンサルした結果、この案件はMaplatの採用を見送り、汎用的なGISツール(OpenLayers、Leafletなど)を用いて実装することになりました。
この案件のユースケースで、Maplatで実現できないことは何一つありませんでした、が、汎用的GISツールでも実現できないことは何一つありませんでした。
実現できる機能に差がない以上、Maplat案件の実績を得るためにMaplatをねじ込んでもよかったはずなのですが、要件上は問題なくても汎用的なGISツールを用いた方が将来の拡張や運用上のメンテなどで利点があるため、顧客の利益の立場に立ってコンサルするべきだと考え、Maplatを採用せず汎用GISを勧めました。
いまだに知名度のないMaplatの実績を1つでも増やしたかった意味では苦渋の判断でしたが、私はこれが技術者としての倫理だと思っていますので、Maplatをねじ込まなかったことを後悔はしていません。

Strolyは、自分たちの技術が採用されることによる顧客サイトの価値低下など無視して、受注を掠め取った

これに対して、Strolyが水戸案件でとった対応はどうだったでしょうか。
水戸案件の絵地図がイラストマップ的な不正確な絵地図であったならば、Strolyで扱うべきデータなので、案件を彼らの汎用システムで受けて全く問題なかったでしょう*1
ところが、水戸案件の場合、想定される機能要件を満たすにはStrolyである必然性は全くなく、それどころかStrolyを使うと機能要件は満たせても非機能要件部分で多くの価値の低下を招くような案件でした。

非機能要件での価値観低下は多岐にわたりますが、一番大きな価値観の低下は「Strolyは正確な地図を正確な地図のまま扱わないこと」です。
水戸案件のサイトで、絵地図と正確な地図を切り替えてみてください。

f:id:kochizufan:20210713104252p:plain
Stroly水戸案件 - 絵地図側

f:id:kochizufan:20210713104416p:plain
Stroly水戸案件 - 正確地図側

全く同じ位置でただ単に地図切り替えボタンを押して切り替えているだけにもかかわらず、地図が全く重なって表示されておらず、ユーザは自分の現在地を見失い、著しく地図利用上のUXを損ねています*2
これが絵地図側が不正確な地図ならば、汎用GISでは扱えませんから、Strolyを提案するのも間違いではないでしょう。
ところが、水戸案件の場合、絵地図側は正確な地図です。
汎用GISで扱える形でデータ化できますし、それを使ってサイトを実現していれば一切ユーザにUXの低下を感じさせることもなかったにもかかわらず、自分たちが受注するためだけにStrolyをねじ込んでいます。
冒頭で私の元に来た相談のように、私のMaplatは機能要件も満たしつつ非機能要件もほぼ低下させることなく実現できてさえ、それでも汎用ソリューションでできることは汎用ソリューションでやるべきだとMaplatを薦めませんでしたが、Strolyは機能要件は満たせても非機能要件部分で大きく顧客に不利益を与えてさえ、自分たちの製品をねじ込もうとする非倫理性を持ち合わせていると言えます。

実際に、機能要件、非機能要件をリストアップしての価値比較

実際に、汎用GIS、Maplat、Strolyで水戸案件を実現した場合の、機能要件非機能要件での実現価値のマトリクスを以下に作成しました。
機能要件部分はどのソリューションを使っても実現できますが、非機能部分で大きな価値の差があり、客観的に見てこれでStrolyを売り込もうという考えが分かりません、正気の沙汰かと思います(別にStroly社が受注して、汎用GISでSIして納入してもいいわけですからね、ただその場合、Stroly社でないと実現できない案件ではなくなりますが)。
位置情報システムのできることの違いがわからないお客さんが気づかないのをいいことに、「我々しかできませんよ」とか騙くらかして受注したのか、或はそもそも、彼ら自身まともに技術を目利きする力がなくて、本気で自分たちしかできないと思って粗悪品を売りつけたのか。
いずれにせよ、すごい技術者倫理の欠如だと思います。

要件の種別 項目 汎用GIS Maplat Stroly
機能 水戸の絵地図を表示する
機能 水戸の見どころピンを表示する
機能 ユーザのGPS現在地を表示する
非機能 サーバ自由度 *3 *4 *5
非機能 システム汎用性、拡張性 *6 *7 *8
非機能 データ汎用性、拡張性 *9 *10 *11
非機能 地図UI/UX *12 *13 *14
非機能 サイトデザイン*15
非機能 コスト *16 *17 △?*18
非機能 来訪者分析*19 *20 *21 *22

実はStrolyが受注する前に私のところに相談が来ていた水戸案件、正確な地図案件だと分かっていればStrolyを使うなとちゃんとコンサルすべきだった

水戸案件にStrolyが使われたことも問題点は以上ですが、実はこの水戸案件、数年前に話が出始めたときに、私のところに相談がきていたのですね。
もちろん別に顧客が私に相談したわけではなく、顧客が相談した先がまた知人に相談して...と何段階かを巡った先に水戸の博物館で学芸員をしている私の友人に相談が来て、水戸の絵地図でStroly的なことをしたいという相談が来てるんだけどどう思う、と相談されました。
もちろん、Strolyに案件を渡すよりできればMaplatで案件を取りたかったですが、しかし当時のMaplatはまだ協力会社も少なく、水戸近辺で案件を受けようとフロントに立って動いてくれそうな会社のあてもなかったので、そこで無理して受注しようとわちゃわちゃして顧客に迷惑かけてもなんなので、まあ1案件くらいStrolyに渡してもいいんじゃね、ということで特にアクションを起こしませんでした。
その時はまさか想定されている絵地図が、不正確なものでなく正確な編集絵地図であるということを知らないまま、まあ不正確な古地図ならStrolyが使われるのもしょうがないよね、くらいの感覚でした。
正確な地図だとわかっていれば、Strolyという会社の不誠実さは身をもって、人生をもって知っている立場ですので、顧客に不利益を与えないため何が何でも阻止したのに...と残念でなりません。

大手を振って正確な地図もStrolyで扱える環境づくりのためにこそ、Maplatエンジン採用を薦めたのだが...

このように、Stroly自身の主要機能である不正確な地図処理という矩を越えて、正確な地図だけを扱う案件でStrolyを採用することは、明確な顧客不利益であり技術者倫理的にはあってはならない事でした。
それだけではなく、これはさすがにStrolyに競合製品であるMaplatを売るべきだったとは言えないので倫理に反するとかの話ではないにしても、そもそも不正確な地図処理においてすら、Strolyはあらゆる面でMaplatに劣っており、StrolyでできなくてMaplatにできることはあっても、MaplatでできなくてStrolyにできることはほぼなかったので、つい最近まではそもそもStrolyは、金を集めて名前だけ売れてるので知名度で商売はできていたのかもしれませんが、技術的には存在価値のない技術でした*23

このStrolyの技術的危機状況に対して、新しくStrolyの技術をリードされるようになったid:maechabin氏が取り組まれているのが、地図を用いたコミュニケーション手段などの新しい売りをStrolyに加えることでした。
これまでのStroly技術は陳腐化しておりMaplatと技術勝負しても勝てないので、新しい売りを作ろうとすることはとても正しい戦略だと思います*24

当初、maechabin氏はこの新しい機能の導入とともに、Strolyで古地図と正確な地図の切り替え機能を廃止するようなことを言っていました(それ自身は、私の受け取り間違いだった可能性も否定はしません)。
もしそれが実現していれば、StrolyとMaplatは何ら競合する技術ではなくなりますし、Strolyとしても陳腐化した地図の座標変換以外にも売りができるので、対立する立場ですが双方Win-Winです。
何より、これによって将来のStrolyが水戸案件のような、売りつけるために顧客に不利益な案件を押し付けるようなこともなくなります。
なのでこの間私も、Strolyの新しいUI/UXにバグレポートや利用感フィードバックを送ったりと、Strolyに協力しました*25

が、(私の勘違いだった可能性はあったにせよ)machabin氏は突然、前言を翻し古地図と正確な地図の切り替え機能は廃止しないと表明しました。

これに騙された!と思いましたが、しかしいずれにせよ、Stroly社は方向転換し、今後は地図を用いたコミュニケーション機能を売りにしてビジネスをしていくことに舵を切ったわけです。
であれば、これまでStrolyが虚飾の売りにしていた古地図座標変換技術の存在を売りにしていく必要はないはずで、その部分を最先端の技術であるMaplatエンジンに切り替えても問題にはならず、むしろ水戸案件のような正確な地図を正確な地図のまま扱う必要のある案件でも、Maplatは正確な地図を正確な地図のまま扱えるので胸を張って受注でき、Strolyにとっても益しかありません。
何より、これでStrolyとMaplatが協力関係になれば、別にStrolyを卑怯な会社などとあげつらう必要なく、ともに前に進むことができます。
そう考え、私は代わりにStrolyのエンジンとしてMaplatを採用する案を提案しました。

ですがこの提案を、最終的にmaechabin氏は否定されました。

いやこれ、別に向かう方向の重点は違っても、「古地図と現代地図を切り替えるという機能」自体は能動的に温存している以上、そこは最善のソリューションを使った方がいいんじゃないですかね?
ましてや自分の会社が、過去にその部分で粗悪品を売りつけた前科があるのならば。
にもかかわらずそこを改善しようという意思を持たないということは、そもそも粗悪な技術を売りつけることに悪いという観念を持っていない、改善する意思もない、すなわち新しい売りを作っていくと表明した今後においてすら、やはり引き続き粗悪なソリューションを顧客に売りつけていくし、それを売りとして投資家から金を巻き上げることもやめない意思の表明とみられても無理はないと思います。
とはいえ、まあ本当に彼らが売りを地図上でのコミュニケーションに置いて、水戸案件のような事故案件を引き起こさないのであれば、私の目の前から消えることになるので別にこれ以上追求する気もないのですが、

まあそんなことは起きそうにないので、私の目の前にいる限りは、今後ともしっかり彼らが卑怯で倫理にもとるビジネスを引き続き行わないか監視し、アンテナに引っかかればこれまでどおり、投資元や顧客への情報提供などを行っていきますよ。
...というか、いつまでこんなこと続けるんですかねこれ?私は被害者なので、あと追加で10年続こうとも私の方から折れることは絶対にしませんが、しかし今回のようにこちらから手を差し伸べることは何度も行っているのですが、そのたびに差し伸べた手を払って反目を続けるのがStrolyの側なんですよね。
いい加減大人になりましょうよ...。

まともにGISの価値観もわからない、GISで扱うべき案件を貶めてまで虚飾を得たいのなら、GISエンジニアの看板など下ろしちまえ

で、この記事を書いている間に、無事Twitterでmaechabin氏にブロックされました。すばらしいですね。
とても優秀なエンジニアの方ではあるのですが、まあStrolyにはまればこうなっちゃうというか、まあ悪貨は良貨を駆逐するとはよく言ったものです。

この人、Twitterの自己紹介で「GIS技術者」の肩書を名乗っており、また水戸出身のようなのですが、その故郷のはずの水戸に、汎用GISであれば有効に扱えたはずの案件で、自社の自分担当の粗悪品を押し付けた形になっています。

twitter.com

いや、自分の扱う製品で故郷に錦を飾ったつもりだったのかもしれませんが、確信犯なのか、それともGISの価値観が分からなかったのかは知りませんが、結果的に故郷にクソを塗り付けた形になっている。
GISエンジニアの肩書を名乗りながら汎用GISの扱う価値観もわからないのならば、GISエンジニアの肩書など下ろしちまえ!としか言いようがないですね。
そもそも、Strolyというソリューション自体が、私が内部にいたころに、「絵地図を歪ませないという新しい価値観と、既存GISの架け橋になるような技術に育てましょう」と提案したところ、悪名高い男CEOが、「Strolyは新しい地図を扱う価値観だ、既存GISのような古い価値観を駆逐こそすれ、一緒にすることはない」と拒否してそのまま今まで続いている技術ですからね、それに心酔してはまるんならほんまにGIS名乗るのやめろ、としか言いようがないですよ*26

最後になりますが、Strolyの水戸案件の酷い地図切り替えのようなことが発生しない、Maplatが水戸の地図を扱うとこうなる、というのがこちらの「ぷらっと水戸」になります。

s.maplat.jp

Stroly水戸案件の地図は著作権があるので組み込んでいませんが、採用する許可さえ著作者様から頂ければ、Strolyと違って正確な地図とピッタリ重ね合わせて切り替える様を提供できますよ。
著作者様、興味あればぜひ。

*1:まあ、もっと突っ込めば、当時のStrolyでできることは全てMaplatでより高性能に実現できたので、StrolyではなくMaplatを使うべきだったとなるのですが、まあさすがにそれはね。より高性能が実現できようと、Windowsを薦めるAppleの営業、MacOSを薦めるMicrosoftの営業はいないだろうし

*2:余談ですが、私がStrolyの中にいたころ、あの会社の男の方のCEOは馬鹿の一つ覚えのように「地図のコンテキスト、コンテキスト」といっていましたが、正確な地図を正確なまま扱うということも、地図から落としてはいけない最重要なコンテキストです。水戸の学芸員さんが、見る人にわかりやすい地図にするために、一所懸命古地図から拾った情報を正確な地図の上に再投影して実現した大切なコンテキストを、馬鹿な地図会社が売らんかなで自分たちの向いていないシステムを押し込んだために、学芸員さんたちが命を削ったコンテキストが潰されてしまいました。この1件を見ても、あの男CEOに地図愛など一切ないし、自分からの狭い視野の範囲だけでコンテキストコンテキスト言ってるのがよくわかります

*3:どこでも運用可能

*4:どこでも運用可能

*5:Stroly社サーバ上でしか動作しない

*6:誰でも使える汎用的有名オープンソース

*7:特殊性が増すが、オープンソースなので対応不可ではない

*8:改変はStroly社しかできず、自由度ゼロ

*9:生成したデータは他のGIS用途にも活用可

*10:Maplatは汎用データの読み込み可能

*11:Stroly独自のデータ形式のため、他の用途に流用不可

*12:正確な地図として全て扱われるため、ストレスなし

*13:正確な地図として全て扱われるため、ストレスなし

*14:地図を切り替えるたびに位置を見失い、ストレス大きい

*15:Strolyでないと実現できない画面デザインはない

*16:概算、システム100万円弱+デザイン費

*17:システム100万円弱+デザイン費

*18:クラッチ開発と異なり汎用システムのため安くできるなら〇だが、Strolyの商用案件への提供は安くても100万円以上と聞いている

*19:これは機能要件かもしれませんが、機能的には完全に模倣できます

*20:必要であるならGoogle Analytics+CARTOでデータ収集は模倣可能

*21:必要であるならGoogle Analytics+CARTOでデータ収集は模倣可能

*22:システム化されている、後は分析コンサル?にどの程度の価値があるかどうか

*23:もちろん、無償ユーザの視点では、Maplatにはない手軽なオンラインエディタもあるので導入しやすいと言った部分で、売りがゼロだったわけではありませんが、しかしことエンタープライズ分野においては、地図の編集などは基本的に作業受注することを考えると、Strolyの売りは本当にゼロのため、知名度だけで仕事しているようなものだったと思われます。
無償ユーザの集客自体は広告塔にはなれど事業の核にはなりませんし、もしそれで何百万何千万の地図を集めていれば集合知の先行利益を得たでしょうがそんなこともなくせいぜい見積もっても万単位の地図しか集めてませんし、技術の核は後発のオープンソースに全ての面で後塵を拝してさらに特許を押さえられているのでキャッチアップできない体たらく、デザインや無償エディタなども所詮ノウハウは必要なく労働集約型の機能でしかないので、Strolyに多額の資金を出資として集められるような優位性は、少なくとも2017年~2018年頃にはありませんでした。
しかし、この2017年~2018年ごろに、Strolyは大きな調達を複数回(20172018)行っており、それ以降にも小さな調達を複数回行っています。
まあMaplatの存在について知らなかったならば(それ自体市場調査不足ですが)、嘘をついて資金調達を行ったとは言えないかもしれませんが、少なくとも2018年ごろには私からStroly社に内容証明を送っているので、彼らがMaplatの存在を知らなかったという言い訳は通じませんし、競合技術があるならばそれとの比較を資金調達時に説明すべきだったでしょう。
そういったことをきちんと説明したうえで、なお数億円を調達できるような何かStrolyの優位性を説明できた結果調達できたのならば全く問題はないのですが、どう考えてもそのような優位性は一切あの時期のStrolyにはなかったので、外形的に判断して当時のStrolyは「我々は唯一、あるいは最も優秀な技術」と、自ら嘘とわかっている説明をして調達を行った疑いを否定できず、そのことを私はたびたび指摘しています

*24:もっとも、その新しい地図を用いたコミュニケーション手段として実装されている機能自体、私が10年以上前に思い付き4年前に具体化言及した機能と全く同じものでしかありません。まあ、IT業界どんなにアイデアを出したのが早くても実装した方が勝ち、的なところがありますので、別に私もこれに対し過度に私のアイデアをパクったとかも言ってません。
しかしながら、いまだに彼らが私の掌のうちを出られていないのも確かですし、また仮にこの地図を用いたコミュニケーション機能などで彼らが特許を出していたりしたら、それは私の記事で公知のアイデアになっているので当然潰しに行きますし、彼らの恥知らずさを喧伝することとなると思います

*25:このStrolyの新しい売り自体も、別に先の脚注で書いたように私が先に公知にしているので特許が取れるわけでもなく、労働集約で実現できる機能でしかないので、Strolyに守られた技術的優位などはいまだに何一つありません。
ですが、私がStrolyを責める理由は、私が彼らが行った卑怯な行為、違法な行為に被害を受けた被害者という過去の損害に加え、今現に、知名度と卑怯なやり方で集めた資金力で、私のMaplatソリューションの行く手を邪魔している(しかも、相対的粗悪品を売りつけることで、市場への期待値を下げる形で)というリアルタイムの損害を与え続けているからです。
逆に言うと、彼らが私の前に立ちふさがらなくなるならば、私に彼らをあげつらう動機はそこまでありません、過去の損害は言っても10年以上前の話ですし。
Strolyのやり方は卑怯で恥知らずですが、世の中には卑怯で恥知らずなビジネスをやってる会社などゴマンとあるので、その卑怯なやり方で私の前に立ちはだかるようなことさえなけりゃ別に責め立てたりはしないですし、逆にその状況に向かうために協力だってしますね

*26:でもって、その男CEOに否定された価値観を踏襲して、古地図を歪ませないのと既存GISを共に扱えるように進化したのが、今のMaplatでですね

オタクとフェミニストの表現の自由の衝突と、表現の不自由展での表現の自由の侵害について

Twitterで面白い議論があったので、Twitterで論ずるには勿体なすぎるのでBlogでご返答。

表現の自由を守るのに「~の表現の自由だけを守る」というのはありえませんよ。
もちろん一人の人間として活動できることに限界がある中で、分野により力が割けない手が回らないというのはあるかもしれませんが、表現の自由は守るならばすべての表現を守るものです。
そうは言っても俺たちの表現は攻撃してるじゃないか、というのは後で論じるので、総論はこうです。
特定の分野の表現にしか興味がない、とうのは表現の自由を守ってるのではなくて、その分野の利益を代弁しているだけです。
それが悪いと言ってるわけではありません、それはそれで立派な、完全にあってよい政治的立場ですが、それだけであるにもかかわらず表現の自由を前面に出していれば、他の分野での表現の自由に興味を持たなければ揶揄されても仕方ないでしょう。

なお蛇足ですが、建前上表現に貴賤はないとはいえ、もともと表現の自由というものは人類史上最初から存在したものではなく、こちらのリンクにも『なぜ「表現の自由」が権利とされたのか。それは17~18世紀の啓蒙主義の時代を経て、人々の考えや言葉もまた王政や教会権力に対する抵抗の資源となること、そして人々の考えや思想は権力から隔離された自由なものでなければならないと考えられたからだ。』、と書かれているように、国家権力に対して市民が自由に政治的主張を行う権利を、市民が戦った上で勝ち取ってきた者です。
つまりは元々政治的主張の表現を守るために生まれて勝ち取られてきたものであって、制限する意味はないのと、また権力がエログロナンセンスと言ったサブカルチャーへの弾圧を通じて社会を抑圧してきた歴史もあって、政治的表現に限らずあらゆる表現に拡張されていると思いますが、しかしその生まれてきた経緯から考えて、自分たちの分野の表現の自由は守るけど、政治の表現の自由は興味ないなんてのは、本末転倒で人類史上で過去の人たちが勝ち取ってきた成果にただ乗りしているだけになるんですよ。
繰り返しますが、「うちの分野の表現を守ることにしか興味はない」という立場はあっていい、それは立派な政治的立場ですが、そこで「表現の自由」を振りかざすから揶揄もされるしおかしなことになってるわけなので、『表現の自由には興味はないけど、俺はこの分野が好きだからこの表現をさせろ』と素直に表明すればいいのにと思います。

さて、それでは本題に戻って、なぜ「表現の自由は例外なく守られるべきなのに、責められる表現があるのか」という点に触れます。
それはそもそも論として市民社会の常識ですが、市民社会の構成員それぞれが自由と権利を持つ結果として、その自由と権利はしばしば、対等の市民同士間で衝突するからです。
力関係が非対称な権力対市民の間では、基本的には表現の自由は権利として認められるし認められる必要がありますが、しかし何でもかんでも自由に表現していると、他人の侮辱されない権利や差別されない権利を侵すこともありますし、また誰かが発言するのは自由でも、それに対して他の人が批判や異議申し立てを表明することもまた自由であるので、当たり前に市民の間の自由や権利は衝突します。
市民の間でも自由や権利は衝突する以上、理論的に自由は100%行使することは不可能で、衝突するところでは何らかの形で - たとえば社会通念とか、差別や加害行為はしてはいけないとか、等 - 自由を制限して調整される必要があります。
実際憲法上での規定でも、『表現行為が他者とのかかわりを前提としたものである以上、表現の自由には他人の利益や権利との関係で一定の内在的な制約が存在する。内在的制約とは、第一には人権の行使は他人の生命や健康を害するような態様や方法によるものでないこと、第二には人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないことを意味する』とあり、さらに『通説は表現の自由日本国憲法第13条の「公共の福祉」による制約を受けるとする』とされています。
この「公共の福祉」とは、『「社会全体の共通の利益」であり,「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」』であって、政権の都合などで制限をかけられるものではなく、飽くまで市民間の衝突を調整する結果としての制限にすぎません(もちろん、性器を含むわいせつ表現などのように、調整が法律などに記された結果、権力により管理されることはありえます)*1

このような調整の結果、表現の自由と言っても無制限に認められるものではなく、一定程度の制限を加えられるのは普通にあり得ることです。
性器を含むわいせつ表現や、ドイツでのナチス表現のようにそもそも表現が許されていないものもありますし、ポルノなどのように、表現そのものは認められているものの、18歳未満の前や公共の場では表現できない等、表現できる範囲が限られているものもあり、またその制限の根拠も法的に許されていないもの、法で定められているわけではないが表現者や業界の慣習で避けているもの、TPOから個別に判断しているものなどいろいろです。
また、この制限自体、未来永劫変わらず一意に決まっているものではなく、時代や社会通念、人々の権利意識の変化によってどんどん変わっていくものです。
私の若いころには、テレビでゴールデンタイムのお笑い番組に裸の女性が出ることもありましたし、職場や大学研究室などに男性社員がヌードポスターやヌードPC壁紙を貼っていてもお咎めはなかったし、飲み屋ではビールの販促にヌードや水着女性のポスターが貼られているのは当たり前でしたが、そういったものもそれを不快に感じる女性たちが声を挙げたことで、今では必ずしも法規制されているわけではないものの、それらは見なくなっていますし、表現自体は規制されていなくても一定のTPOの元では非常識な表現として受容されてきています。
こういった表現の制限の変化は必ずしも制限がきつくなる方向にだけ働くわけでもなく、たとえば私の若いころは陰毛が写っていてもわいせつ物だと規制されましたが、今は18歳以下の目に触れない等ポルノの表現規制を満たしている範囲では、陰毛が写っている表現も認められるように変わってきています。
いずれにしても大切なのは、自由と権利の衝突を調整した結果として表現に規制をかける規範は、過去から未来まで変わらず一緒だったわけではなく、変わっていくものですし、そしてその変わりつつある時は、新しい権利の異議申し立てをする人々と既存の価値観を持つ人々の間では、衝突が起きるものだということです。
今ではアメリカでも黒人が白人と同じ学校に通ったり同じバスの席に座ったりするのは当たり前ですが、その権利を勝ち取り新たな規範にできるまでの間は、同じ学校に通おうとしたり同じバスの席に座ろうとした黒人は、白人から激しく攻撃されたり、官憲に逮捕されたりもしました。
それと似たような段階が、今のフェミニズム周辺での表現問題の現場で起きていることだと思っています。

いや、誰かの表現を批判するのもまた表現の自由と言っても、少しでも批判されればすぐ元表現が制限されるのでは表現の自由など絵に描いた餅になるのは確かです。
人の好き嫌いの感覚は千差万別である以上、それこそアンチフェミニストたちがよく使う用語の、個人の「お気持ち」程度で表現の範囲が妨げられるようなことがあってはいけません。
が、私は昨今のフェミニストたちの公共の場での性的強調された表現の制限の主張は、かつての歴史上の黒人の生存権拡大や公共の場からのヌードの排除などと同様、個人のお気持ちレベルではなく普遍性を持ちうる主張だと考えています。
恥ずかしながら私自身、かつてはずっと非モテだったこともあり、口に出したことこそなかったものの内心では、「しょせん女性はイケメン無罪なんでしょ」とか思っていた時期もありましたが、エロに飢えていたこともあって現役/引退AV女優や若い女性のSNSなどをフォローして見ていた結果、多くの女性が小中高と言った若い頃から、男性側から性的にモノのように消費搾取しようとするまなざしや痴漢などの実害を、イケメン無罪とか関係なく素で本気で嫌悪しているし、気持ち悪がっているということを理解しましたし、なので過去のさまざまな権利獲得活動と同様、女性が気持ち悪い男性の性的欲望を日常で意識させられることなく気持ちよく暮らせる権利も確立されるべきものだと私は思っています。
もちろんそれに対し、黒人の生存権拡大に対し多くの白人が抵抗したように、俺たちの街角シコリティを守れ、俺たちは自分のプライベートな部屋だけでなく公共の街角でもシコリティの高い絵を見てムラムラしたいんだ、その権利を持っているんだ女性の嫌悪感など知ったことかと、反対の立場で言論を展開するのも立派な政治的立場ですし、主張して現状維持を勝ち取ろうとするのも全く正当な表現の自由です。

ですが勘違いしてはいけないのは、双方の立場とも相手にすべきは社会であって、別にこれは相手を論破し認識を改めさせるゲームではないのです。
黒人の生存権拡大でも、差別主義者の白人が認識を改めたから黒人の生存権が拡大したのではなく、いまだに内心黒人差別のレイシスト白人は山ほどいますが、そういった社会の変化についていけない差別主義者連中が認識を改められないのを置き去りにして、社会の大勢が黒人の生存権拡大という新しい価値観に納得すれば、社会通念は動くのです。
フェミニストがオタクを納得させられなかろうが、あるいは逆にオタクがフェミニスト折伏できなかろうが、社会の大勢、あるいは個々の事件のミクロでみるとJAや献血センターと言った判断主体が、どちらかの主張に納得して行動に反映すれば、変わるにしろ現状維持にしろ社会通念は決まるのです。
その意味で、このフェミニストとオタクの一連の諍いは、表現の自由が妨害されている事象ではなく、単に双方が表現の自由を行使した結果、当たり前に起きる衝突の調整プロセスに過ぎません。
まだ、フェミニストの側が、「性的にきわどい表現に存在の場を許すな、発禁にさせろ」と主張したり、主張内容を実力で勝ち取るために迷惑行為テロ行為の実力行使に出たり、政治権力を動かして弾圧したりすればフェミニスト側が表現の自由を侵そうとしていると主張できますが、穏当に「そのような表現はあってもよいが、公共の場では控えるべきである」と主張しているだけの限りで、かつ実力行使したりもなく穏当に自分たちの権利要求を伝えているだけの限りにおいては、許された正当な対抗言論の表現の自由を行使しているだけであって、「表現の自由を侵害している」などと非難される類のものではないと言えるでしょう。

これに対し、表現の不自由展の方はどうか?
天皇御真影を燃やすな」などというのは個人の思いとして主張するのは自由ですが、全くもって主張する人の気分を害したという程度の「お気持ち」でしかなく、なんら普遍的な権利侵害の主張に昇華できる余地のないものです。
むしろ、表現の自由などなかった戦前の時代に、「不敬罪」という形で天皇に関する表現が制限されていた時代があったことを考えると、どのような立場からの人の主張があろうと、完全にこれはあってはならない表現の自由の制限にあたります。
さらに表現の不自由展の場合、テロ行為に近い実力行使によって表現を遮ろうとする行為や、行政担当者が先頭に立って表現の場を奪おうとする動きもありました。
これは表現の自由の侵害の一丁目一番地であり、自分の興味ある分野だとかそうでないとかにかかわらず、これに声をあげないのであれば表現の自由にかかわっていると主張すべきではありません。

以上長くなりましたが、まとめますと、以下の通りになります。

  • 公的な場での性的にきわどい表現の是非に関するフェミニストとオタクの諍いは、表現の自由の侵害ではなく、お互いの表現の自由が衝突しているだけである。フェミニストの権利要求に対し対抗言論を行うのも全く正当な政治的権利だが、そこで表現の自由の侵害などを持ち出すべきではない。
  • 表現の不自由展は、教科書に載るようなド直球の表現の自由に対する侵害であり、それに声をあげないのであれば表現の自由に関わっているなどと主張すべきではない。

*1:ちなみにですが、この権力側からの制約ではない「公共の福祉」概念がよほど気に入らないのか、自民党改憲案では「公共の福祉」がほぼ「公益、および公の秩序」という権力側からの関与、定義を可能にする概念に書き換えられています

昔考えた中国神話設定サルベージ & お焚き上げ

ひょんなことから、10年以上前に昔はてなグループで書いてた中国神話の設定をInternet Archiveでサルベージしました。
別に歴史的事実を追求してるとかではなく、中二病的な(?、笑)小説とかの設定に使えそうなつじつま合わせをしただけのもので、多分いま改めて調べると間違ってる部分も多いでしょうが、とりあえず当時調べた範囲ではある程度つじつまを合わせたものです。
今から改めて調べ直してつじつま合わせ直しとかまではしませんが、なんとなく捨ててしまうのももったいないので、お焚き上げ代わりにフリーアイデアとして公開します。
私はこの先もう小説家になったりとかはないので、もし気に入ったらパチってもらって結構です。

関連Googleマイマップも作ってました。

www.google.com


現状の個人的まとめ案*1

史実を追及するというよりは、この辺をネタにしたゲームだの小説だので使えそうな汎用プロットの作成に重点。

系列 構成 主要固有名詞
伏羲系 苗族源流 風⇒好 伏羲,女媧,太昊,嚳,舜,羲和,商朝
神農系 羌族主流・苗族融和 神農(炎帝),燧人,祝融,蚩蚘,縉雲,饕餮,三苗,斉国
黄帝 神農系から分かれた中原華族 黄帝(軒轅),帝鴻,渾沌,驩兜,周朝
少昊系 羌族傍流・東夷融和 少昊,窮奇,共工,堯,羿,嫦娥,秦国
顓頊系 少昊系から分かれた東夷⇒夏族 顓頊,檮杌,鯀,禹(夏朝),逢蒙
  • 考え方

    • 元々の発想は、四凶の故事を太古の豪族の勢力争いとして捉えられないか、と考えたもの。追いやられた四凶+中央で五勢力。
    • 四凶は縉雲(炎帝系?)-饕餮-三苗,帝鴻(黄帝?)-渾沌-驩兜,少昊-窮奇-共工,顓頊-檮杌-鯀のラインでそれぞれまとまった。そしてそれを追いやった舜、の五勢力があったのでは、という仮説。
    • 五天帝が中央黄帝,南方神農,西方少昊,北方顓頊,東方太昊又は帝俊、という情報あり*2。もしこれが正しければ、帝俊=帝嚳=舜という情報もあるので、四凶+舜の構図にぴったりあう。また、東方天帝は太昊(伏羲)、という情報もあるので、伏羲=女媧=帝嚳=舜を同族ラインで結ぶ。
    • 伏羲,女媧は苗族系、共工羌族系との情報が強い。神農及び眷属の蚩尤は姜姓なので羌族っぽいが、蚩尤が三苗=>楚と繋がったり、四凶の親である縉雲氏は南方地名と、南方=苗族の影響も大きく感じる。後世の制服王朝のように、苗族(伏羲系)中心だった中原に、羌族が侵入し上位に立ったが、中原の習俗に同化した構造(支配層の羌族と民衆の苗族の融和政体)ができ、それが神農系になったのではないか。
    • 或いは共工は、羌族の神名ではあるが、そもそも羌族視点から見ても悪神なのかもしれない。その場合は、共工(少昊系)は羌族系ではなく、東北騎馬民族の祖の可能性も。
    • 一方、羌族の侵入から逃れた苗族(伏羲系)は南方へ、中原の習俗に染まらなかった羌族(少昊系)は、中原の神農系とも争いつつ、北方⇒東北へと移動したのではないか。
    • 黄帝系は、神農系から分かれた*3、中原由来の勢力ではないか。黄帝に最後まで歯向かった神農系で羌姓の蚩尤、及びそれに従った九黎族*4は、神農系での支配層羌族+民衆苗族の構造を表すのでは。
    • 後の周朝も、姫姓で黄帝系。よって黄帝が中華、華夏族の祖として祀り上げられる事となった。同時に、周朝に協力した羌族(神農系)の祖も、元は同祖である事もあり、炎帝として黄帝に次ぐ地位を与えられる事になった。
    • 中華の祖としての格付け上、その後の支配者は全て黄帝の血筋、という格を与えなくてはならなくなった。よって、よほど強い繋がりでない限り、「〜は黄帝の子孫」は無視できると思われる。或いは、有力氏族同士の縁戚関係はあったかもしれない。
    • 東方に移った少昊系は、東夷の力を借りて勢力を高め、一時中原から黄帝系を駆逐する。が、少昊系の支配下にあった*5東夷・夏族が力をつけ始め、中原に力を投射できるまでに発展し、もっとも後発の顓頊系が生まれる。
    • この後しばらく、中原の覇は伏羲系、少昊系、顓頊系のみで争われ、神農系、黄帝系は諸侯としては力を保つものの、覇権の表舞台からは消える。
    • 帝俊(帝嚳と同一視)の子である十の太陽を撃ち落としたので、羿は伏羲系とは敵対する勢力。また、顓頊系である夏を一時攻め滅ぼしているので、顓頊系とも敵対する勢力。そして少昊の出身地、山東省の窮桑と、羿の治めた山東省の有窮国が、名前と地域がよく似ているので、羿は少昊系に含めた。この辺は割と根拠薄弱なので、今後変えるかも*6
    • 四凶は、帝舜の時代に、自族以外の有力諸侯を四辺へ追いやった事の記録か。帝舜(伏羲系)の御代なので、五天帝では中央に来る黄帝系も西方に追いやられている。ただし、後に黄帝系/神農系連合(周王朝)が天下を握るので、この二勢力に関する不名誉な記録は直接的な表現ではなくなっている。
    • 堯はよく判らないが、羿に十の太陽を落とせ、と命じているので少昊系に加えた。
    • 夏王朝は当然顓頊系。商王朝は判らないが、顓頊系の夏を倒し、黄帝系/神農系連合の周に倒されているので、伏羲系か少昊系のどちらか。で、信用度はきわめて眉唾ながら、『古代氏族の姓に女の文字が含まれるのは、祭祀を司ったから。商朝及びその後継国家の姓が「子」で女を含まないのは、周朝と争ったため、祭祀を共にしない事を表すために周朝が女偏を奪ったから』という情報があり、少昊系はその後の秦国等に繋がり女を含む嬴姓であるのが判っているのに対し、伏羲系がその頃の姓が判らないので、好姓=商朝を担ったのではないか、と割り当てて伏羲系へ。
    • その後、商周革命で黄帝系が再び天下を握り、五天帝でも中心の地位へ。
  • 四凶と五天帝のズレ

系列 四凶 天帝
黄帝 中央
神農系 西
少昊系 西
顓頊系
伏羲系 中央
  • 偶然と思うが、1つずつズレて循環している*7。もしかすると、黄帝系が天下を取り中央に移動⇒これまで自分達がいた南を、中央に次ぐ地位と考え、功績があった神農系に譲る⇒神農系が居た西を、易姓革命の順ではもっとも遠い昔(夏より前)に天下を取っていた=危険度の少ない少昊系を置く⇒少昊系のいた北に、その次に危険度の低い顓頊系を置く⇒顓頊系のいた東を、もっとも低い地位として、直前の王朝であり危険度の高い伏羲系を置く、といった形にし、呪術世界での序列をつけたのかも。

  • 全て、飽くまで妄想です。こういう設定での小説とかあったら面白いかな、程度の。

*1:こうまとめたら見方として面白い、という程度で史実だと主張するわけではない

*2:ただし、これ自体袁珂という人の個人説では、ソースはないのでは、という情報もあり。

*3:黄帝は神農の兄弟という説あり

*4:後に三苗、楚になったとの情報

*5:この辺について、顓頊は東海にて少昊に育てられた、と表現されている

*6:例えば、十の太陽は火烏の背中に乗って飛んでいたので、火がシンボルの神農系とも繋がるし、鳥トーテム繋がりで少昊系とも繋がる。実際、十の太陽の母親である義和は、炎帝の眷属で、子孫に少昊がいる、という情報もあり。神農系から帝嚳に婚姻関係があり、少昊が子孫=>血筋繋がりではなく後を襲った意味、と考えるとつじつまが合う?

*7:このような並びになる確率自体は5分の1なので決して低くはない

汎用指向の方からニッチな活動が評価されないのと同様に、ニッチなユースケースから汎用データが評価されないのも当たり前じゃね?と思う話

これは誰を責めるとかでもなく、こんなこともあった、という上で自分の感じてることを述べる枕とするだけなのだけど、

先日、某地域のMaplatを整備する議論をしていた際に、観光情報としてピンを立てたいのだけど、その場所に使える観光オープンデータがない、OSMでPOIをサーチしてもショボいし、でもない以上仕方ないので、Wikipediaoverpass API + Wikidata APIOSM検索した結果の表示で妥協するか、みたいな話をしたところ、その話をしていた相手の人に、一生懸命労力費やしているOSMをショボいデータ扱いされて悲しかった、という反応を受けたことがあって。
いや、その感覚が逆に全く分からないのだけど、かけた労力とか関係なく、ちゃんとそれ向けに使うことを想定してて作られていないユースケースで使えないと言われたからと言って、当たり前だと思いこそすれ、残念だと考えるのっておかしくない?
いかに偉大なプロジェクトでも、それで全てのユースケースが満たされるのだ、それで満たされる範囲で各ユースケースは我慢しなければいけないのだ、という発想の方が傲慢じゃない?

ぶっちゃけ、この手のサイトばかり作ってきた身としては、妥協案の「Wikipediaをoverpass API + Wikidata APIOSM検索」ですら不満しかないのよね。
別にマイナーな地物で、Wikipediaの分量がミニ読み物程度しかない地物なら割と必要十分なんだけど、観光アプリに興福寺のピンが立っていたとして、

ja.wikipedia.org

この分量を観光の出先で観光客が読む?
観光客向けに想定するコンテンツなら、やはり観光客がちょこっと知りたい範囲のことをコンパクトかつ必要十分に満たした専用データがまた別に必要だよね、と、本気で各ユースケースを考えていたら思うわけで。

なので、会津若松市水戸市のこういうオープンデータが貴重なわけです。

www.city.mito.lg.jp

data.data4citizen.jp

これらの街のこういったデータの存在が私の考えていたユースケースにベストマッチだったからこそ、感動して、他の町でも整備したいと思い、(まだ活用できる形で公開してないけど)会津若松のデータは英訳版も作ったり、「ぷらっと館林」で使ってる館林の観光データなんかは自分で一から作ったわけです。

s.maplat.jp

まあ、思ったより大変なので、結局他の町などには拡張できずに、他の町ではWikipediaOSM検索みたいな妥協案に走ってるわけだけど、本気でユースケース考えてたら専用のデータ作るのが当然だし、そして館林のデータ作るために、私は(全部活かしたかはともかく)10冊20冊レベルの本に目を通すくらいの労力を費やしてるわけで。
そのくらい労力かけてつくるものが本来のユースケース的にはベストマッチのところに、OSMのメインユースケースには必要十分とはいえ、町はむちゃくちゃ歩き回ったんだと思うし大変だったとは思うんだけど、本の一つも開いたわけではなく整備したデータを、観光コンテンツに使ってほしいし不十分だと言われたら悲しいとか、むしろこちらの方が、その程度のデータしか必要でないユースケースと思われてるのが悲しいというか、傲慢さを感じてしまうのですよ。

というか、汎用データの必要性はわかるしそこに労力が集中するのもわかるけど、みんなそれを万能に考えすぎ。
果てはOSMは自動運転にも使えるとか、どれだけ個別ユースケース舐めてんねん、という感覚しかない。
その業界に従事している身からすれば、OSM単独なら自動運転どころかナビゲーション用途にすら全く足りない代物でしかない*1
汎用で個別ユースケースの機微に気を払ってないデータが、注目されているオープンデータだという理念先行でそのまま無批判で社会システムの中心に検討されてくるようになると、たとえそれが検討レベルだとしても、なんか社会に不幸しか呼ばへん感覚がある。
それって、トップダウンボトムアップかが違うだけで、結局単に「選択と集中」になっとるだけやんけというか。

必要なのはもっと多様性やろと。
(後で書くように、別に自分の活動をもち上げたいために書くわけじゃないけど)私も奈良地蔵オープンデータとか館林石造物オープンデータとか、みんな最初はWikiなんちゃら系をプラットフォームにして整備してたけど、だんだん自分の考えてるユースケースと汎用データ仕様が合わなくなってきたので、独立して整備するように切り替えたんだけど、結局いろんな用途に本気で対応させてクリエイティビティを出そうと思ったら、譲れない部分で汎用から外れていくのは当たり前だと思う*2
特に大した要件のないユースケース古地図のオープンデータ化とか)は、今でも汎用Wikiなんちゃら系をプラットフォームにしてますしね。
多様性が重要だと思うから、汎用から外れることに躊躇しないし、逆にいうと自分が個別のユースケースしか考えてるのは十分に理解しているので、どんなに頑張っても、汎用のユースケースしか見えてない人に評価されないのは当たり前だと思うので、別に評価されないから辛いと思うこともないです*3
一生懸命頑張ったのだから評価されるべき、というのならば、私なんかCode for Historyの活動で、先日計算することが合ったのだけど、Maplatの開発活動だけでも3000時間以上費やしているので、普通に評価されてもいいはずなんだが、ユースケースがニッチ過ぎるので汎用指向の人に評価されなくても気にもならない。
同様に、汎用ユースケースで一生懸命整備されているデータでも、ニッチなユースケースの立場から見て、これ使えないなと判断するのは別に全く問題ないと思うし、そこで傷ついたとかって少し傲慢になってない?と個人的には思ったりするのです。

*1:ただし、OSM+αは全く否定しない、うちの製品でもOSMを一部材料に使うかという議論も出てき始めているし

*2:飽くまで個人的思考法ではですが

*3:私がたまに人と揉めてるのは、明らかにこちらの成果から実利を得ているのに、それを還元しない連中と揉めてるだけなので、別にそもそも他人からの評価がないと辛いということはないです。もちろん評価されると嬉しい、というか本当は辛いけど評価を要求できるような活動は自分はしてないというのはわかってるので別に評価されないからといって辛いと口にすることは基本ない。

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