Code for History

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昔考えた中国神話設定サルベージ & お焚き上げ

ひょんなことから、10年以上前に昔はてなグループで書いてた中国神話の設定をInternet Archiveでサルベージしました。
別に歴史的事実を追求してるとかではなく、中二病的な(?、笑)小説とかの設定に使えそうなつじつま合わせをしただけのもので、多分いま改めて調べると間違ってる部分も多いでしょうが、とりあえず当時調べた範囲ではある程度つじつまを合わせたものです。
今から改めて調べ直してつじつま合わせ直しとかまではしませんが、なんとなく捨ててしまうのももったいないので、お焚き上げ代わりにフリーアイデアとして公開します。
私はこの先もう小説家になったりとかはないので、もし気に入ったらパチってもらって結構です。

関連Googleマイマップも作ってました。

www.google.com


現状の個人的まとめ案*1

史実を追及するというよりは、この辺をネタにしたゲームだの小説だので使えそうな汎用プロットの作成に重点。

系列 構成 主要固有名詞
伏羲系 苗族源流 風⇒好 伏羲,女媧,太昊,嚳,舜,羲和,商朝
神農系 羌族主流・苗族融和 神農(炎帝),燧人,祝融,蚩蚘,縉雲,饕餮,三苗,斉国
黄帝 神農系から分かれた中原華族 黄帝(軒轅),帝鴻,渾沌,驩兜,周朝
少昊系 羌族傍流・東夷融和 少昊,窮奇,共工,堯,羿,嫦娥,秦国
顓頊系 少昊系から分かれた東夷⇒夏族 顓頊,檮杌,鯀,禹(夏朝),逢蒙
  • 考え方

    • 元々の発想は、四凶の故事を太古の豪族の勢力争いとして捉えられないか、と考えたもの。追いやられた四凶+中央で五勢力。
    • 四凶は縉雲(炎帝系?)-饕餮-三苗,帝鴻(黄帝?)-渾沌-驩兜,少昊-窮奇-共工,顓頊-檮杌-鯀のラインでそれぞれまとまった。そしてそれを追いやった舜、の五勢力があったのでは、という仮説。
    • 五天帝が中央黄帝,南方神農,西方少昊,北方顓頊,東方太昊又は帝俊、という情報あり*2。もしこれが正しければ、帝俊=帝嚳=舜という情報もあるので、四凶+舜の構図にぴったりあう。また、東方天帝は太昊(伏羲)、という情報もあるので、伏羲=女媧=帝嚳=舜を同族ラインで結ぶ。
    • 伏羲,女媧は苗族系、共工羌族系との情報が強い。神農及び眷属の蚩尤は姜姓なので羌族っぽいが、蚩尤が三苗=>楚と繋がったり、四凶の親である縉雲氏は南方地名と、南方=苗族の影響も大きく感じる。後世の制服王朝のように、苗族(伏羲系)中心だった中原に、羌族が侵入し上位に立ったが、中原の習俗に同化した構造(支配層の羌族と民衆の苗族の融和政体)ができ、それが神農系になったのではないか。
    • 或いは共工は、羌族の神名ではあるが、そもそも羌族視点から見ても悪神なのかもしれない。その場合は、共工(少昊系)は羌族系ではなく、東北騎馬民族の祖の可能性も。
    • 一方、羌族の侵入から逃れた苗族(伏羲系)は南方へ、中原の習俗に染まらなかった羌族(少昊系)は、中原の神農系とも争いつつ、北方⇒東北へと移動したのではないか。
    • 黄帝系は、神農系から分かれた*3、中原由来の勢力ではないか。黄帝に最後まで歯向かった神農系で羌姓の蚩尤、及びそれに従った九黎族*4は、神農系での支配層羌族+民衆苗族の構造を表すのでは。
    • 後の周朝も、姫姓で黄帝系。よって黄帝が中華、華夏族の祖として祀り上げられる事となった。同時に、周朝に協力した羌族(神農系)の祖も、元は同祖である事もあり、炎帝として黄帝に次ぐ地位を与えられる事になった。
    • 中華の祖としての格付け上、その後の支配者は全て黄帝の血筋、という格を与えなくてはならなくなった。よって、よほど強い繋がりでない限り、「〜は黄帝の子孫」は無視できると思われる。或いは、有力氏族同士の縁戚関係はあったかもしれない。
    • 東方に移った少昊系は、東夷の力を借りて勢力を高め、一時中原から黄帝系を駆逐する。が、少昊系の支配下にあった*5東夷・夏族が力をつけ始め、中原に力を投射できるまでに発展し、もっとも後発の顓頊系が生まれる。
    • この後しばらく、中原の覇は伏羲系、少昊系、顓頊系のみで争われ、神農系、黄帝系は諸侯としては力を保つものの、覇権の表舞台からは消える。
    • 帝俊(帝嚳と同一視)の子である十の太陽を撃ち落としたので、羿は伏羲系とは敵対する勢力。また、顓頊系である夏を一時攻め滅ぼしているので、顓頊系とも敵対する勢力。そして少昊の出身地、山東省の窮桑と、羿の治めた山東省の有窮国が、名前と地域がよく似ているので、羿は少昊系に含めた。この辺は割と根拠薄弱なので、今後変えるかも*6
    • 四凶は、帝舜の時代に、自族以外の有力諸侯を四辺へ追いやった事の記録か。帝舜(伏羲系)の御代なので、五天帝では中央に来る黄帝系も西方に追いやられている。ただし、後に黄帝系/神農系連合(周王朝)が天下を握るので、この二勢力に関する不名誉な記録は直接的な表現ではなくなっている。
    • 堯はよく判らないが、羿に十の太陽を落とせ、と命じているので少昊系に加えた。
    • 夏王朝は当然顓頊系。商王朝は判らないが、顓頊系の夏を倒し、黄帝系/神農系連合の周に倒されているので、伏羲系か少昊系のどちらか。で、信用度はきわめて眉唾ながら、『古代氏族の姓に女の文字が含まれるのは、祭祀を司ったから。商朝及びその後継国家の姓が「子」で女を含まないのは、周朝と争ったため、祭祀を共にしない事を表すために周朝が女偏を奪ったから』という情報があり、少昊系はその後の秦国等に繋がり女を含む嬴姓であるのが判っているのに対し、伏羲系がその頃の姓が判らないので、好姓=商朝を担ったのではないか、と割り当てて伏羲系へ。
    • その後、商周革命で黄帝系が再び天下を握り、五天帝でも中心の地位へ。
  • 四凶と五天帝のズレ

系列 四凶 天帝
黄帝 中央
神農系 西
少昊系 西
顓頊系
伏羲系 中央
  • 偶然と思うが、1つずつズレて循環している*7。もしかすると、黄帝系が天下を取り中央に移動⇒これまで自分達がいた南を、中央に次ぐ地位と考え、功績があった神農系に譲る⇒神農系が居た西を、易姓革命の順ではもっとも遠い昔(夏より前)に天下を取っていた=危険度の少ない少昊系を置く⇒少昊系のいた北に、その次に危険度の低い顓頊系を置く⇒顓頊系のいた東を、もっとも低い地位として、直前の王朝であり危険度の高い伏羲系を置く、といった形にし、呪術世界での序列をつけたのかも。

  • 全て、飽くまで妄想です。こういう設定での小説とかあったら面白いかな、程度の。

*1:こうまとめたら見方として面白い、という程度で史実だと主張するわけではない

*2:ただし、これ自体袁珂という人の個人説では、ソースはないのでは、という情報もあり。

*3:黄帝は神農の兄弟という説あり

*4:後に三苗、楚になったとの情報

*5:この辺について、顓頊は東海にて少昊に育てられた、と表現されている

*6:例えば、十の太陽は火烏の背中に乗って飛んでいたので、火がシンボルの神農系とも繋がるし、鳥トーテム繋がりで少昊系とも繋がる。実際、十の太陽の母親である義和は、炎帝の眷属で、子孫に少昊がいる、という情報もあり。神農系から帝嚳に婚姻関係があり、少昊が子孫=>血筋繋がりではなく後を襲った意味、と考えるとつじつまが合う?

*7:このような並びになる確率自体は5分の1なので決して低くはない

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