アニメ「宇宙よりも遠い場所」(略称;よりもい)をご存知でしょうか。
女子高生世代*1の女の子4人が、友情を育て成長しながら南極を目指し、そしてまた日常へ帰っていくという青春ロードムービーです。
その人間味あふれた、完成度の高い構成が評価されて、昨年度の米ニューヨークタイムス紙ベストテレビショー特集海外部門で、日本の作品として唯一、またアニメ作品からも唯一、ベスト10に選出された等の結果も持っている、非常に評価の高い作品です。
その「よりもい」の前半の舞台になっているのが、群馬県館林市です。
館林市が舞台に選ばれた理由は、南極という極端に寒い場所と、日本で一番暑いと言われる?場所との対比だと聞いていますが、古い城下町の独特の雰囲気が作品前半のイメージにマッチして、作品の魅力を増しています。
実際、聖地巡礼と称して、作品に登場した魅力的な場面を実際に訪れるファンの人たちも大勢います(というか、私もその一人です)。
ですが、その魅力的な街の風景は、街の歴史によって育まれてきたわけですが、どのような歴史を経てアニメ中の魅力的な街並みが生まれたのかは、あまり語られていない気がします。
本記事では館林の古地図を開きながら、「よりもい」の舞台となった場所の歴史を紐解いていきたいと思います。
記事中で引用されている古地図、およびよりもい巡礼マップに関しては、一部を除き、拙作の館林街歩き観光アプリ、「ぷらっと館林」上で公開されています。
この記事で興味を持たれた方は、ぜひそちらを用いて館林の街歩きを楽しんでみてください。
物語の動き出す交差点 - 大辻
まずは物語中でも重要な意味を持つ場所、キマリと報瀬が南極へ行く絆を危うく壊しかけながらも持ち直し、またキマリと日向が出会うきっかけとなった2人のバイト先がある、館林本町二丁目の交差点から。
ここは多くの周辺カットが作中で描かれている他、キマリと日向2人のバイト先と特定できるコンビニが実際にある点で、巡礼でも屈指の有名スポットとなっており、巡礼のたびにこの交差点に立ち寄ってコンビニを訪れては、キマリの好きなプリンシェイクをいただく*2、というのが定番になってたりするようなところです。
実はこの交差点、館林の歴史上も重要な交差点になっています。
この交差点は竪町の大通り、谷越町の大通り(日光脇街道)という2つの大通りが交わるところで、古来「大辻」あるいは「札の辻」と呼ばれた、いわば館林城下町の一丁目一番地にあたる場所なのです。
館林城大手門から出た参勤交代の行列も、ここで南へ曲がり江戸に向かうという交通の要地であった他、幕府や藩から一般民衆への御触書がある際はそれが掲げられる、高札場という設備も設置され、情報の流通もここを起点に始まるという、城下町館林の本当の中心地がここでした。
江戸時代が終わり近代に入ってもその重要性は変わらず、この場所には館林周辺の道路整備の起点となる、道路元標というものが設置されました。
まさに、館林という街を起点とした旅がここから始まる、「ここから、ここから」の場所がこの交差点だったのです。
ちなみに、この交差点から参勤交代の行列の行く筋に沿って、谷越町の大通り(日光脇街道)を南に下がっていくと、オープニングで出てくる特徴的な雑居ビル(谷越ビル)や、日向がジュースを買ったポコポンガールズ(実際にはmenkoi girls)の自販機があったりします。
キマリの成長を見守ってきた神社 - 金山神社
主人公キマリの家の前に描かれている小さな神社も、主人公の家というよく舞台になるところだけに、作中で多く描かれました。
家のすぐ前の神社だけに、キマリがまだ子供だった時代からその成長を見守ってきた神様だと思うのですが、このモデルになった神社が、本町二丁目の金山神社です。
この神社は小さな神社ながら歴史は古く、江戸時代初期の古地図にはもうその名前がこの場所に出てきます(下の古地図キャプチャは江戸時代後期)。
この神社の祭神は金山毘古神といい、火やそれを用いた金属加工などを司る神様です。
この地域一帯は昔は鍛冶町、あるいは近代以降は字金山と言われた地域で、その名の通り鍛冶屋が多く住んでいた地域でした。
そのため、鍛治を生業とする人々が、自分たちの職業安全のためこの神様を祀ったのだと思われます。
キマリの裏表のないまっすぐな性格は、この神様が子供の頃から鍛えた賜物なのかもしれません。
そのすぐ近くですが、5話でキマリがめぐっちゃんに「絶交無効」した後、南極の旅へと振り向かず走り去る路地があります。 小さな路地ですが、この路地も歴史は古く、江戸時代には与力や同心が集まり住んだ「御家中屋敷」と記されている地域になっていますが、その区画の中に一本、通用路として切られた路地(当時は行き止まりでした)が、このキマリの走った路地のようです。
キマリ宅近くの街の風景 - 片町
5話ではキマリとめぐっちゃんにフォーカスが当てられて語られますが、その中でキマリ宅周辺の風景が描かれます。
水商売の店が多数雑居する特徴的なゴリラビル、エンディングアニメでも描かれる角のタバコ屋さん、etc...
この辺りの街は、歴史的には片町と呼ばれます。
町名の由来は簡単、ここらあたりは館林城の城内と城下町の境目であり、昔はこの通りの東側は城内を守る堀と城壁の威容があるばかりで、人家や店の類は通りの片側、西側にしかなかったため、片町と呼ばれるようになったのでした。
さすがに堀が埋められ城壁が撤去された今は、片側にしか建物がないということはありませんが、それでも建物密度は西側の方が詰まってるような気がしないでもありません。
同様に5話の中でキマリとめぐっちゃんの帰り道シーンで描かれた場所として、片町の通りの少し東側の水路があります。
この水路はまさに、片町が境だった館林城の城内と城下町を隔てていた堀の遺構です。
花屋さん前の「止まれ」 - 谷越町天王の裏通り
オープニングと、同じく5話で少し描かれる特徴的な場所として、花屋さんの前に「止まれ」と描かれた細い路地の風景があります。
この路地も決して大きな道ではありませんが、昔からある古い路地です。
今も残る歴史ある施設として、この路地の東には青梅天満宮、西には大道寺があり、その双方にこの路地から裏口アクセスできますが、その昔にはもう一つ、路地の東側、青梅天満宮の北側に、円蔵院というお寺がありました。
この円蔵院には牛頭天王が祀られ、谷越町の天王として知られていましたが、その他に館林には足利町の天王(別当同町密蔵院)、竪町の天王(別当材木町法性院)があり、この三天王が旧暦六月七日に催す夏祭りは、三つの神輿が市内渡御の後登城して城主拝礼まで行われるという、盛大なものだったようです。
今は三天王も他の神社に合祀され、天王夏祭りもなくなって静かな路地になっていますが、その昔は夏祭りの際は賑わった通りだったのかもしれません。
館林の街の玄関 - 昭和まであった街のランドマーク、善導寺
これまでに挙げた例のようにピンポイントではないのですが、館林という街の玄関口である館林駅周辺も、作中では多く描かれました。
キマリが旅立つ際に利用した駅前トイレや駅改札口、駅前のタヌキ像、めぐっちゃん行きつけの喫茶店カフェドスタール、少し離れていますが結月が泊まった?ニューミヤコホテル*3など。
これらの地域は、その昔どのようなところだったかというと...全域が善導寺という大きなお寺の境内でした。
善導寺は江戸時代より前は館林城の北側、加法師と呼ばれる地名の地域に、伝説では行基が開基したとされて存在していましたが、安土桃山の頃榊原康政が館林に入城した際に、善導寺の上人に深く帰依し、この現館林駅前付近に土地を与えて移転させたそうです。
それ以来江戸期を通じてこの場所にあり、近代に入ってからも寺域こそ大幅に小さくなりましたが、ずっと館林駅前にランドマークとして鎮座していた名刹でした。
が、昭和末期、館林駅前の再開発計画に伴い、城沼の北側に移転してしまいました。
その後館林駅前は再開発されたと言っても、誘致したスーパーも撤退しだだっ広い駐車場しか残っていないのを見ると、再開発とはなんだったのか、善導寺の山門の威容を館林駅前のランドマーク、街のシンボルとして駅前に残しておくべきだったんじゃないかと、余所者ながら思ってしまいます。
もし善導寺が館林駅前に残っている世界線で「よりもい」が作られていたら、館林駅前の描写ももっと違ったものだったのかもしれません。
番外編: 東屋の江戸時代
このように、アニメの聖地として訪れた街並みであっても、それを歴史などの別の視点を重ね合わせてみてやると、また全く違う景色が見えてきます。
とっかかりはアニメであったとしても、そこから街を他の視点で見たりして楽しむ楽しみ方がもっと普及すればいいなと思います。
最後に、番外編として、「よりもい」の館林聖地として筆頭に挙げられるであろう、つつじが岡公園の東屋が昔はどうだったか。
古地図の範囲外...というか城沼の底でした。
昔の城沼は今よりもずっと広く、館林城の難攻不落の南の守りとして広がっていたのです。